由紀夫がいなくなったことを知ったのは、2月19日の夜のことでした。
長崎の原爆資料館ホールでの講演を終え、ホテルに戻って家に電話をすると、「昨日の夜、由紀夫が行方不明になった」と夫に告げられました。
由紀夫は、今年13歳になるうちの猫です。生後1ヵ月の時に段ボールに入れられ小学校の校庭に捨てられていたのですが、我が家の一員となってからは、12年間外に出たことがありません。現在飼っている4ひきの猫の中で、由紀夫は最も臆病な性格で、来客があると、飲まず食わずトイレにも行かず、物陰に隠れて姿を現しません。
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「ガラス戸がちょうど猫1ぴき分開いてたから、なんかの弾みで外に飛び出して、怖くてどこかで固まってるんじゃないかな?」
「なんてガラス戸の鍵を閉め忘れたの?」
わたしは電話を切って呼吸を整え、ツイッターで由紀夫の情報を拡散しました。
「毛色は真っ白、尻尾は真っすぐ、目は金茶。去勢済みの雄猫です。家族以外の人間が名前を呼びかけたり、近付いたりすると、逃げます。見かけた方は、その場で電話をください」と、夫の携帯電話の番号を書き、由紀夫の写真や動画を次々にアップしました。
夕方は、学校帰りの高校生が捜してくれました。
夜は、カンテラを持った見知らぬおじさんが捜してくれました。
そして、友人のTさんが片道2時間をかけてやってきて、徹夜で由紀夫を捜してくれました。Tさんは、津波で兄夫妻を亡くし、遺児である3人の子を我が子として育てています。
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翌朝、Tさんはメールをくれました。
「死んだ兄がそばにいたような長く不思議な夜でした。歩きながら、3月11日のことを考えていました。あの日、兄たちは亡くなりましたが、何とかチビたちを捜し出しました。寒くて震えながら歩いているのに、歩くほどに、大丈夫と心の底から思ったんです。大丈夫、必ずまた会える、と」
Tさんの言葉通り、由紀夫は生きて見つかりました。2月21日の夜8時でした。わたしは仙台空港アクセス線快速に乗っていました。名取駅で降り、JR常磐線のホームに立った時、「由紀夫、救出中!」というメールが届きました。
「由紀夫!」と夫が絶叫したところ、家の床下から鳴き声が聴こえたので、畳をひっくり返し、床板を壊し、由紀夫をつかみ出した、と―。
浜吉田駅を発車した時、携帯電話が鳴りました。息子がシャンプー中の由紀夫の鳴き声を聴かせてくれました。浜吉田駅から相馬駅までは、津波で線路が流され、5年9ヵ月ものあいだ不通だった区間です。
海の近くを走る電車の中で、猫の声を聴きながら、わたしは津波に呑まれて亡くなったTさんのお兄さんのことを思いました。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者) (月1回掲載)
(「しんぶん」赤旗2017年3月27日より転載)