東京電力福島第1原発は、原子炉からみると、いまだに6年前と変わっていません。
そんな中で、原子力規制委員会の原発の審査が進み、運転が始まっています。しかし何をやっているかというと、そもそも事故を防ぐためには何ができるかといった議論をとばして、津波対策ではこう、地震対策ではこうと、断片的な対策になっています。
自然現象は人間の推定通りにいくとは限らないのに、ここまで対策すればいいと判断をして再稼働にゴーサインを出している。大変に拙速です。
言い訳に使う
規制委は、原発の安全対策は多層防護、多重防護になっていると言っています。多層防護は、おのおのの層で徹底してガードする姿勢が必要です。
実際には、そこまでできないから一応努力した、けれど最初の防護が超えられたら、次の層でがんばるとなっています。では次の層で止まるかというと、それも想定が違い超えられるかもしれない。最後は、格納容器が壊れたら放水器で放射性物質を落としますという冗談のような話をしています。
多重防護は安全のための思想ですが、原子力分野では、言い訳に使われています。
福島の事故でも本来働くべき安全装置が働かなかったことが問題です。例えば、原子炉圧力を減らす逃がし安全弁が作動しなかったとか、原子炉を冷やすため消防車のホースをつなぎ込んで水を入れたけど水が変なところに行ったとか、不確実なことの繰り返しです。作り込みをして、不確実さを減らさないと本来の多重防護、多層防護にならないのです。
楽観的な見方
そもそも多重防護、多層防護は原理的に安全を確実にするものではありません。危険の確率が落ちるだけです。
原子力を推進する人たちは、事故前は絶対安全と言ってきましたが、事故以降は「絶対安全はない」と言う。その通りだけど、今は絶対安全はないけど頑張っているから、それでいいよねと、開き直っています。
論理的に起こりうる事故は、必ず起こる確率があるということを前提に対策を取るべきです。しかし、規制委の審査では、楽観的な見方に頼ってこのぐらいでいいだろうという議論をしています。
私の出身の東芝が今回、海外の原発事業が原因で大きな損失が出ました。原子力産業でのリスクが、分かっていなかった。さらに福島の事故で、国際的な原子力のおかれた環境が一層厳しくなったにもかかわらず、国内がだめだから海外に行くという発想をしました。
世界を見ても原発をどんどんやろうという国は一握りになっています。原発は斜陽産業の典型。原子力はやめるべきです。
(「しんぶん」赤旗2017年3月18日より転載)