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福島・南相馬 避難解除も変わらぬ光景・・学校再開が希望に

 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故からまもなく6年。避難指示の解除から半年がたった福島県南相馬市小高区を訪れました。

福島発事故6年 避難自治体は今

 福島第1原発から20キロ圏内の同区は原発事故で全域が避難指示になり、2016年7月12日に帰還困難区域(1世帯2人)を除く避難指示解除準備、居住制限の両区域の避難指示が解除されました。震災当時、同区には1万2842人の住民が暮らしていましたが、戻ったのは約14%の1480人にとどまります(17年2月12日現在)。

 JR小高駅前では旅館や雑貨店、床屋などが営業していますが、駅前通りの商店街は人の姿がまばら。解除直後と変わらぬ光景が続いています。昨年12月に地元銀行の支店が再開され、道端に停車させ銀行に入っていく人の姿も目立つようになりました。

家屋解体

 駅前で雑貨店を営む女性(37)は「駅前は解除後に比べて人は増えていると思いますが、街では住宅の解体が進んでいます」と話します。駅前通りを歩くと「家屋解体中」という看板が随所で目につき、「オーライ」という工事現場の人の声や、「カンカンカン」と解体作業の音があちこちから聞こえてきました。作業員に聞くと住居兼店舗を新築するとのこと。中には建物を取り壊し転居する人もいます。

 商店街の多くはシャッターが閉められています。主人が戻れずに商品のたんすや棚などが店内に散乱したままになっている家具屋がありました。震災当時の様子が今も残っています。

 避難指示解除に合わせて駅前の復興住宅に移り住んだ70代の男性は「以前の駅前は魚屋や電気屋などの商店が隙間なく並んでいたが、今は歯抜け。不便だ」といいます。

 南相馬市復興企画部企画課の牛来(ごらい)学課長は「もともと便利のいいところではない。戻ってきている人の多くが高齢者で、若い子育て世代が少なく働き手が不足している。東京でのPRや地元の若者を育てて人材を確保したい」と説明します。

 今年4月から小高区にある公立の小・中・高が再開される予定。小高小の校舎に区内四つの学校がまとまり、高校は工業高校と商業高校が統合され「小高産業技術高校」として小高工業高の校舎で再開されます。

 小高小に設置された放射線測定器は、訪れた2月18日午後1時時点て毎時O・129マイクロシーベルト。一般人の年間追加被ばく線量の上限は毎時O・23マイクロシーベルトとされています。

学校再開に向けエ事が進む小高小学校=福島県南相馬市

起爆剤に

 避難指示解除に住民は期待と不安が入り混じります。

 駅前で飲食店を経営している男性(70)は「人がいなければ商売は成り立たない。学校再開が希望だ。街を元気づける起爆剤になってほしい」と期待します。

 原町区の仮設住宅で暮らす古内和子さん(69)は学校再開と同時に家族で小高区内の自宅に戻るといいます。「孫娘と同じ中学に通う生徒で、4月に小高中に戻るのは孫含めて2人しかいません。孫の両親は街の治安の悪化を心配して送り迎えすることにしている。学校で送り迎えをしてくれると助かる」と話します。

 古内さんは震災以前、小高区で米や野菜をつくる農家でした。「戻って農業をするにしてもサルやイノシシなどが増えたから畑が荒らされないか」と心配します。

 同区は震災の津波で沿岸部の454世帯の住宅が全壊や大規模半壊になるなどの被害を受けました。海に近い地域はがれきがなくなり、広大な荒れ地が広がっています。

(「しんぶん」赤旗2017年3月5日より転載)