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“帰村すれど”自ら命絶った後継青年「原発事故なければ」

納屋に置いた看板を前に、息子の話をする松枝さん

 東京電力と国による原発過酷事故・放射能汚染被害の真っただ中にいる福島県双葉郡8町村。住民はどんな思いを胸に、この6年間をすごしてきたのでしょうか―。2012年に「帰村宣言」をした川内村の住民を訪ねながら、被災地の今と、冷たい安倍流「復興」策を検証しました。

(阿部活士)

福島は今・・川内村

 2月中旬、同村の字前谷地。田んぼはまだ雪がかぶっていました。道路端でくわで雪解け水の溝をつくる作業をするお年寄りがいました。本多富次さん(81)です。

 昨年、息子家族と一緒に戻ってきました。「家さ戻ってよかったのか悪かったのか、なんだかわからない。外に出てくる人がだれもいなくなった。震災前は部落の人たちは屋敷回りして、お茶飲んだのに」。言葉少なく話します。

 農業再生の希望が

「川内村村勢要覧」で使われた「希望の田んぼ」づくり(右端が遠藤さん)

 この地では、農業の再生に努力した後継青年の悲劇も起きました。

 「希望の田んぼ」と書かれた看板が立ったのは、「帰村宣言」した12年でした。つくったのは、遠藤満弘さんです。収穫した、ひとめぼれを入れた2合袋には、「一反から9・5俵とったこの地域では大記録をもつ母を抜かすことができたら、すべてをまかせると言われ奮闘中」と書きました。

 稲刈りのときなどは、東京からも同世代の若者が震災復興のボランティアとして駆けつけました。「それはわいわいにぎやかだったよ」と母親の松枝さん(67)。

 村も「村勢要覧」で「地域資源を活かした村づくり 農林水産業の振興」の項で飾り写真として使いました。

 しかし、「原発事故はただの震災でない。爆発や、放射能汚染という現在も被害が続く人災だと気付かなかった」と松枝さん。

 いくら丹精込めてコメをつくっても、放射能検査が邪魔して思うように売れませんでした。頼りにしてきた松枝さんがケガをして、農作業は満弘さんが主力に。隣町の採石場での仕事で腰を痛めたことなども重なった15年4月、自ら命を絶ってしまいました。35歳でした。

 「人一倍責任感の強かったがんばり屋。相談に乗れなくてごめんといいたい」。目を真っ赤にした松枝さんは、「原発事故さえなかったら」と何度も思うといいます。

  森林除染方針なし

村の87%を森林が占め、農林産業を基幹産業にした“豊かな村”でした。その基盤が原発事故で根こそぎ奪われました。

 人口2734人で、仮設住宅などを引き払って川内村内で生活する人は、703人だけです。65歳以上の高齢者が4割にのぼります。

 子育て世代、働く現役世代が戻っていないことを示すのが、児童生徒の帰村状況です。小学生は震災前102人が35人に。中学生は54人が13人に。高校受験を控える中学2年生は1人だけです。

 「村も事故の被害者です。事故前にたてた村の総合計画が一瞬にして崩れた。人口減少と超高齢化社会に一気になった。課題は若年層の帰村を促すこと。難問です」

 こう嘆くのは、猪狩貢副村長です。

 農業とともに基幹産業の林業は、どうか。

 森林の放射能汚染で「資源循環が崩壊」しました。試験的に間伐材の出荷は始まりましたが、本格的な林業の再生はめどさえたっていません。

 というのも、国の森林除染方針がないためです。村の除染実施計画では、生活圏外の森林は除染時期20年を見こみ、「今後、国から示される方針に基づき対応します」としました。しかし、「国から方針も方向もいまもって示されていない」(猪狩副村長)のです。

 

避難指示の解除なぜ「被災者に寄り添って」

郡山市内にある川内村仮設住宅の集会所でのおしゃべりには笑いも

 郡山市内の仮設住宅。車で1時間以上離れた川内村からの避難者が6年間苦楽をともにしてきた“コミュニティー”です。仲良くなったみんなが集まると話題は、「4月から、どうするの?」でした。

 住宅支援打ち切り

 安倍自公政権が3月31日で、帰還困難区域以外の地域の避難指示を解除し、仮設住宅など住宅支援を打ち切るからです。

 「生きてこれたのはみなさんのおかけです」と話すのは、集会所でマッサージをうけていた矢吹一郎さん(88)。妻は事故直後の避難生活の疲れから12年の正月に亡くなりました。

 「年も年だし、最後は故郷で」と、震災で壊れた雨漏りする村の家に3月いっぱいで帰ると話す矢吹さん。「震災前は田んぼや畑、山からのものを採ってきた。けど、農地はイノシシのすみかになってダメだ」

 大熊町のスーパーに勤めていた60歳の息子と暮らします。息子は原発事故で仕事がなくなり、除染作業に出ているといいます。

 「この先ずっと除染作業があるわけではない。心配は田村市にある病院への通いだ。もう少し仮設にいたい。私たちの生活にあわせて政策を決めてほしい」

″住民念頭にない″

 いろんな病気が診られる病院がない。通える高校がない。現役世代が働く職場もない。森林の除染計画もない…。それにもかかわらず、政府は何を根拠に避難指示を解除するのでしょうか―。

 復興庁の中嶋護参事官は避難指示を解除するにあたっての根拠を、3点挙げます。①年間線量が20ミリシーベルトに下がること②インフラがおおむね整うこと③地元と協議すること、です。しかし、「〝地元〟とは、あくまで『協議』であり合意ではない。ていねいに説明することです」と中嶋参事官。

 「その〝地元〟も町村の議会であり、住民は念頭にない」と言い放ちます。

 政策転換の大運動

 政府の福島切り捨て政策を転換させる大運動を呼びかけているのが「ふくしま復興共同センターです。代表委員の斎藤富春さん(県労連議長)は「川内村の若い後継農業青年の自殺はショッキングな事件でした。政府は帰還だけをあおり、戻った人に寄り添っていなかったことを象徴する悲劇です」と批判します。

 同センターは原発なくす全国連絡会と連携して、全国100万人署名」運動を展開中です。「政府と東電は、避難者の実情に応じた住まいの確保、生業の再建、徹底した除染と完全賠償」などを求める内容です。

 斎藤さんはいいます。

 「原発被災地域の再生と人間の復興とは期限を切った時間の問題ではありません。国は加害者なんだから、帰還した人にも、戻れない人にも寄り添う責任があります。福島の現状を発信しながら、安倍政権を倒す運動と共同して原発ゼロの日本をめざしたい」

(「しんぶん」赤旗2017年2月22日より転載)