わたしのスマートフォンには、どこに居ても南相馬市からの防災情報が届きます。地震や台風の情報のみならず、火災や交通事故などの情報もすぐに配信される仕組みになっています。
1月18日は、東京の下北沢の「本屋B&B」で「作家生活30周年、柳美里が語る文学と人生」というトークイベントがあり、その夜は渋谷のビジネスホテルに泊まりました。
チェックアウトをして、東北新幹線で仙台に向かっている時に防災メールが届きました。数日間ほとんど眠っていなかったため、うつらうつらしていました。「車両火災」「北泉」という文字を確認して、わたしは再び目を閉じました。
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南相馬市の沿岸部は津波によって壊滅的な被害を受けました。その爪痕が生々しいのと、海岸堤防の復旧工事の大型車両がひっきりなしに行き来するため、海に近づくことはできません。唯一、原町区にある北泉海浜総合公園だけは、2015年の春に除染と施設改修作業が終わり、砂浜を散歩できるようになりました。
わたしたち家族も、海を見たくなると、車で北泉の海岸に向かいます。昨年11月12日の出来事でした。北泉に到着すると、駐車場に停めてあった乗用車の運転席から煙が立ちのぼっていました。既に119番通報されていて、間もなく消防車がやってきて消火活動をはじめました。若いカップルが慌てて浜辺から走ってきて、灰皿の煙草の火を消し忘れたということでした。
わたしはてっきり、今回も煙草の火の不始末だと思ったのです。「19日午前11時10分ごろ、南相馬市の空き地で軽乗用車が燃えていると付近を通り掛かった作業員から119番通報があった。火は約20分後に消し止められたが、軽乗用車の運転席から1人の遺体が見つかった。
南相馬署によると、軽乗用車の持ち主の同市の60代の男性と連絡が取れていないという。同署は現場の状況などから自殺の可能性が高いとみて慎重に調べを進める。20日に福島医大で司法解剖を行う」(『福島民友』)
2015年の東日本大震災と原発事故に開連した自殺者は、前年より1人増えて23人。そのうち福島県は19人(岩手県は3人、宮城県は1人)でした。
原発事故によって突然自宅からの立ち退きを命じられた住民は、長年にわたる避難生活を強いられました。2014年4月以降から順次避難指示が解除された田村市、川内村、楢葉町、葛尾村、南相馬市の5市町村の帰還率の平均は約13%にとどまっています。しかも、家族そろっての帰還はまれで、大抵は高齢者のみの帰還です。
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原発事故によって、幸福を不幸に、日常を非日常に裏返しにされた人々は、帰還後も感情を揺さぶられ続けています。日常のささいな喜びに浸っている最中に、喪失の大きさに打ちのめされ涙が止まらなくなる、というような日々を過ごしているうちに、自分を支えきれなくなってしまう―。
人々から生きる力を奪うものに対して、なにもできないのか、という無力感に射抜かれながら、なにかできることはないのか、とわたしは考え続けています。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者) (月1回掲載)
(「しんぶん」赤旗2017年1月30日より転載)