年の瀬になりました。
昨日は、「臨時災害放送局」の仕事納めでした。わたしが、「ふたりとひとり」というラジオ番組を担当してから、もうすぐ5年になります。出演してくださった地元の方も460人を超えているというから、自分でもよく続いているな、と驚いています。
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今年最後の収録は、7月12日に避難指示が解除された小高区の区長連合会会長の林勝典さん(69)と輝子さん(68)御夫妻でした。区長と言っても、都会暮らしの方はピンとこないでしょうからご説明します。この辺りの地域では、まだ隣組が機能していて、地域行事や田畑の水路や公園の清掃、葬儀などは組内で助け合って行います。行政区長は、隣組を束ね、市行政の連絡窓口ともなる重要な役割を担うので、地域住民から厚い信頼を寄せられている方が選出されます。
隣組の組長さんは、「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」と言われていた江戸時代の長屋の大家さんのイメージに近く、区長さんは親分肌の方が多く、避難指示解除の住民説明会でも意見や要望を携えて、果敢に手を挙げて質問していました。
林さん御夫妻は、現在、鹿島区の仮設住宅で避難生活を送られています。
「小高区に戻られますか?」と質問すると、「はい。でも、いまリフォームの設計図を引いてもらっているところで、着工まであと半年は待たなければならないかな……」とおっしゃいました。
「え? 半年? そんなに?」隣に座っていた輝子さんがはじかれたように勝典さんの横顔を見ました。
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林さんのお宅は、材木屋から直接、樹齢70年の「秋田杉」の4寸角以上の建材を1軒分購入して、それを地元の大工さんに見てもらって、これは梁に使える、これは大黒柱にしよう、廊下の床板はここら辺りで、と相談しながら建てられたそうです。だから、リフォームは、ハウスメーカーではなく、地元の大工さんに頼みたい、と。今から新たに頼むとなると、2年は待つことになる、それでも小高の方々は、待つ、とおっしゃっているというのです。
「小高では、今の時代では、いくら出しても手に入らない貴重な建材を使っているお宅が多いです」
と、林さんは、避難している5年10ヵ月の間に家が傷み、泣く泣く取り壊しの決断をせざるを得なかったご友人の家の梁の話をされました。1本で9開もある梁だった、と―。
この期に及んで、原発というエネルギー政策を推進すべきだ、という政治家や経済人は、原発事故によって毀損されてしまった家々を一軒一軒訪問してほしい、と思います。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者)
(月1回掲載)
(「しんぶん」赤旗2016年12月26日より転載)