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“福島に生きる”責任と被害 明確にしたい・・元朝日新聞記者 福島原発かながわ訴訟原告団団長 村田弘さん(74)

 「大犯罪だ」と話す村田さん
「大犯罪だ」と話す村田さん

  「記者の問題意識がないと本当のことは見えない。どこまで事実を取材するかで深さがでる。イライラしてみている」

 元朝日新聞記者で、福島原発かながわ訴訟原告団団長の村田弘さん(74)は、東京電力福島第1原発事故についての報道にそんな苦言を呈します。

 福島県南相馬市に生まれ、高校卒業まで過ごしました。早稲田大学を卒業後、朝日新聞に入社。横浜支局、熊本支局、西部本社、東京本社と各地で記者活動に従事してきました。

 在職中には熊本支局で胎児性水俣病などの公害報道に関わりました。

 定年退職後の2003年に、生まれ故郷の南相馬市小高区で奥さんの実家の畑を継ぎ、7反歩(70アール)の果樹農園を営みました。「骨を埋めるつもり。静かに終わろう」と、農業に挑戦していました。

■土を耕す喜びが

 「土を耕すと本当の生活だなあ」と、農作業の喜びを実感する日々でした。モモ、リンゴ、サクランボなど実のなる木を植えて、「3・11」前には収穫できるまで育っていました。

 福島第1原発から16キロの地点にあった自宅。「3・11」は、地元のスーパーで横浜市に住む子どもたちに贈る米を精米し終えたところでした。翌日「20キロ圏内に避難指示」が出されたことがテレビのテロップで流されました。

 11年3月15日、同市原町区郊外の中学校体育館に避難していたとき、広島で被爆した朝日新聞時代の先輩から電話が入りました。「何してんのや~。逃げろ」と怒鳴られました。事態の深刻さを知り、同17日、次女夫妻の住む横浜市内に避難しました。

 「私はお墓に避難します。ごめんなさい」と自殺した93歳のおばあさん。須賀川市の有機農家の男性の死、親戚や知人から届く訃報の知らせ。村田さんの心をさいなみました。ささいなことで怒鳴る。トイレカバーの交換に30分もかかる。自宅と1階下の隣人宅を間違えて開けようとしたり、「錯乱の日々」の始まりとなりました。

 余生を静かに過ごそうと思っていたのが「百八十度逆転」しました。

 「終わりが見えなくなりました。悔しいですよ。ここで一太刀浴びせたい」。13年9月、村田さんは、神奈川県に避難している17世帯、44入とともに、国と東京電力を相手に損害賠償を求める訴訟を横浜地裁に起こしました。原告数は現在、61世帯、174入です。

■国の大犯罪問う

 「原発事故は人災です。最大の公害です。国の大犯罪です。いまだに事故がなぜ起きたのかはっきりしない。被害の実態も明らかでない。でたらめの極致です。責任と被害をはっきりさせたいです」

 直面する問題は、「福島県の避難者への住宅支援が来年3月で打ち切られようとしていることです」。

 村田さんは言います。「自分で家賃などを払うことになります。避難者は経済的に成り立ちません。子どもの被害が心配で避難している人たちもいます。事故がなかったら避難しなかったのです。このままならば必ず自殺者がでます。国も福島県も放射能被害に真剣に向き合うべきです」

(菅野尚夫)

(「しんぶん」赤旗2016年11月4日より転載)