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“福島に生きる”おびえる生活終わりに・・いわき市民訴訟原告元全気象労働組合副執行委員長 島田栄二郎さん(73)

「事故前と同じ条件で暮らせるように」と話す島田さん
「事故前と同じ条件で暮らせるように」と話す島田さん

 「アッという間に過ぎた5年間でした」というのは、福島県いわき市在住の元全気象労働組合副執行委員長の島田栄二郎さん(73)です。

■「役立つ仕事を」

 「人に役立つ仕事をしたい」と気象庁で働くことにしたのが19歳の時。定年退職して13年になります。この間、全気象で測候所の統廃合に反対して活動してきました。

 1910年4月に観測を開始した福島県いわき市の小名浜測候所は、2008年10月から無人化されました。

 気象庁は1997年から2010年にかけて全国に100ヵ所近くあった測候所を次々と無人化=自動観測化し、地域象観測所への移行を推し進めてきました。

 当時、全気象労働組合の役員だった島田さんは「防災上もゆるされない」と無人化や廃止に地域の住民と共に反対してきました。

 国が測候所の自動観測化を進めた理由は、観測の効率化=経費の節減でした。気象観測には人の目と耳でしか判断できない現象も数多くありました。

 雲の動き、霧の目視観測、サクラの開花、ウグイスの初鳴き、初雪、初霜、初結氷など、環境や気候の移り変わりは人の観測が欠かせません。測候所の合理化で生物季節観測がわからなくなったのです。

 農作物の管理や温暖化対策などさまざまな気象情報のサービスに支障をきたすことになりました。

 現在、小名浜測候所の無人化によって、サクラの開花宣言は、市民団体「小名浜まちづくり市民会議」などが行っています。これには島田さんも一役かっています。

 旧小名浜測候所の敷地内にあるサクラの標準木は、小名浜港から約300メートル離れた地点にあります。東日本大震災のとき50~60センチの津波が押し寄せて冠水しました。開花するか心配されましたが、今も咲き続けています。

 島田さんが残念に思っていることはSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が活用されなかったことです。

 そして、2015年度のSPEEDI関連の予算は7割以上減額されました。さらに、国は原子力災害が起きたときの避難の判断にはSPEEDIの計算結果を使わないことにしたのです。

■ウソは許さない

 島田さんは、「国は原発事故についても何も反省していない」と感じています。「SPEEDI予測は10分刻みで分かります。かなり正確なデータが得られました。何で活用しなかったのか悔やまれます。不確かでも全くないよりは良いのです」

 2011年3月11日以後、浪江町では、多くの住民が放射線量の高い北西方向へ避難して被ばくしました。

 国と東京電力に慰謝料など損害賠償を求めた「浪江町津島訴訟」の原告は、国などの責任を追及しています。

 島田さんは「二度とウソをつかせないためにもいわき市民訴訟の原告に加わった」といいます。

 「放射能におびえる生活は終わりにしたい。原発は廃炉にして、再稼働もさせない。太陽光、地熱、風力など自然エネルギーに転換すべきです。オール福島で逆行させないたたかいをすすめたい」

      (菅野尚夫)

(「しんぶん」赤旗2016年10月24日より転載)