福島県いわき市の志賀静子さん(60)は、農業が振興することをねがっています。長年、新日本婦人の会いわき支部と「浜通り農民連」との産直運動にかかわってきました。
志賀さんは、東京電力福島第1原発から30キロの町で夫と2人で畑3反、田んぼ2反を耕し、自給自足を心がけています。
■まだ作れる地域
原発事故による放射能汚染で以前からの耕作放棄地がさらに広がりました。
「わが家の周りも細々と作り続けてきた先祖代々の田畑を放棄する家が増え、背丈より高い雑草に囲われてしまいました」と言います。
「いわき市は汚染されたといってもまだ作れる地域です」という志賀さん。夫妻で、耕作放棄された周りの田畑を借り、土地の再生をはかりました。除染の時間と労力は大変でした。「日本は耕せば食料を生み出せる大地があるのに耕せないでいる。世界では飢餓に苦しむ人がいるというのにもったいない」と、悔しがります。
原発事故前は、四季折々の山菜や、川や海から魚をとって楽しんでいました。家計の足しにもなりました。「まさか原発事故が現実になるとは思いもよらなかった」と言います。
原発事故から5年が過ぎ、「食べ物を生み出す農業を子どもたちに体験させたい」と、今年5月に田植え体験会を行いました。「いわき農商工連携の会」と地域の協力で子どもたちを中心に総数60人ほどが集まり、大盛況の体験会となりました。
今年は、伝承農業を楽しむことをテーマに伝承野菜作りをしています。むかしの足踏み脱穀機なども譲り受けました。
「田のあみ米つくろう会」という会を耕作している4軒で立ち上げました。「これからそばをまき、収穫し、地域の人たちとそば打ちをして食べます」と、農業への向かい風に屈していません。
海に近い星山。自然の魅力いっぱいの地域です。しかし、一生懸命作って放射能測定をして、不検出であっても「福島産」は食べられないと言う人もいます。「それだけ心を傷付けられたのだと思います。作ったものを拒否されたようでつらいけども原発事故を恨むしかない」と、苦境をにじませます。
■胸がつぶされる
原発事故で大好きな古里を突然追われるように離されて、帰れない人たちのことを思うと「胸がつぶされるように痛い。東京電力と国は、お金では償えないことがあることを理解すべきです」と考える志賀さん。国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めたいわき市民訴訟の原告に加わりました。
「原発を再稼働し推進する。ましてや輸出などとんでもない。いわき市は、山と海がある山間の特性を生かしてできることを模索しています。私たちのこうした努力は、今後の安全な廃炉によってしか成り立ちません」と、原発ゼロヘの願いを語っていました。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年8月21日より転載)