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“福島に生きる”住民分断 乗り越え・・いわき市民訴訟原告 根本一市さん(72)

「国と東電の責任を問いたい」と話す根本さん
「国と東電の責任を問いたい」と話す根本さん

 「福島県内の原発の廃炉はもちろんですが、全国の原発の再稼働にも反対です」。いわき市民訴訟原告の根本一市さん(72)は、原発ゼロに対する逆流が強まっていることに危機感を持っています。

 東京電力福島第1原発事故直後から、根本さんは、自宅のある約700戸の団地周辺の放射線量測定活動を、佐々木公一さんら4人の地域住民とともに始めました。この活動は今も続いています。「以前は高いところで毎時2・5マイクロシーベルトありました。測定結果は団地住民に知らせています」

 身近なところに放射線量の高いホットスポットがあること、長期的に測定することによって将来放射能がどのように残留するのかなどが分かりました。

 2011年3月、東日本大震災が起きた4日後の3月15日になって「放射能が降ってくる。避難したほうがいい」と家族と話し合いました。

■母の命を縮めた

 次女のいる栃木県宇都宮市や千葉県柏市に1カ月間夫婦で避難しました。元気だった90歳の母親が避難生活の中で亡くなりました。「原発事故は母親の命を縮めました。国と東京電力の責任を問いたい」といわき市民訴訟の原告になりました。

 「原発が安全だとは思ってはいませんでした。しかし、福島県の沿岸部は『東北のチベット』と言われるほど不便で開発が遅れていました。冬は出稼ぎに、中学を卒業すると集団就職で首都圏に出る。地域の実情を見て原発建設には目をつむっていました」と、原発建設が始まった40年前に積極的には反対しなかったことを悔いています。

 福島第1原発周辺の双葉町、大熊町、楢葉町、浪江町などの住民がいわき市に避難し、仮設住宅や借り上げ住宅に住むようになりました。「賠償金のことで避難者の人たちを良く言わない人たちもいます。お金にはかえられない苦しみを味わっているのに残念なことです」と、住民同士が分断されている状況を憂えています。

 「いわき市民も市外から避難して来ている人もどちらも同じ原発事故の被害者です。国と東電の分断工作を乗り越えて力を合わせて前に進む必要があります」

 戦争が終わるころ生まれた根本さん。子どものころは食糧不足でひもじいときもありましたが「自由に生きられた」といいます。「放射能の恐怖にさらされている今はあのころよりも苦しい」と感じています。

■批判的に見る力

 父親が病気だったことから苦学生でした。奨学金で福島大学を卒業しました。小学校教師として、「子どもたちが地域で活躍できるように育てたい」と作文教育に力を入れました。「書くことによってものの見方を養う。素直に見て、悲しみや喜びを表現する。文集作りに取り組みました」

 元教師として、若者たちへのメッセージがあります。

 「私たちは原発安全神話に踊らされてきました。世の中のことをきちんと批判的に見ていく。本当なのか自ら確かめていくことが重要です」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2016年8月8日より転載)