2011年3月の東京電力福島第1原発事故のため全住民が避難していた福島県葛尾(かつらお)村の、帰還困難区域を除く避難指示解除準備区域と居住制限区域が6月12日に避難指示解除されてから1カ月半たちました。環境整備の遅れもあって帰還した住民は4・2%という状況です。(福島県・野崎勇雄)
村内各地に積み上げられたままの、除染で出た放射能汚染物を詰めこんだフレコンバッグの山。原発事故前の水田の約半分は仮置き場にされています。家屋は大地震による破壊、ネズミやイノシシなどの被害のため住める状態ではなく、建て替えの前提となる家屋解体は入札不調のため、始まったばかりです。
「除染したフレコンバッグの山が目の前にある。これがあるうちはとても帰れない。みんな同じ思いだ。事故は終わった、被害は解決したというようなやり方は納得できない」と話すのは松本一夫さん(69)=農業=。
避難で腰痛悪化
一夫さんは原発事故直後の3月14日夜、村の避難指示を受けて長男と2人で郡山市の娘宅を皮切りに、福島市、会津坂下(あいづばんげ)町へと避難。避難のストレスから腰痛を悪化させ、入院治療。約4カ月後に現在の応急仮設住宅(三春町)に入居しました。
2年目と3年目は農業を続けるつもりで水田の試験栽培に参加したものの、4年目からは「自分の体の状態では農作業は無理だ」と断念。農業については「(建設会社に勤めている)長男のやりたいようにさせたい」と言います。一夫さんはこんな状態になったのは原発事故があったから。村は復興計画の第1に原発ゼロを掲げるべきだと思っている。原発を推進し事故に責任がある国が原発再稼働、海外輸出を進めるのはとんでもない」ときっぱり話します。
別の仮設住宅に住む松本忠彦さん(80)は、自宅の敷地周辺と農地を管理するため毎月戻っていますが、将来的には子どもが住む、いわき市への移住を考えています。「私はずっと自民党に票を入れてきた保守の人間だが、原発はいらない。国は原発政策をやめるべきだ」と言います。
葛尾村は春は山菜、秋はキノコ、川ではヤマメなど自然の恵みが豊かな地。年老いた両親を抱え、姉が住む東京に避難した三瓶仁一さん(65)は「村に帰るかどうかは決めかねているが、山菜など山のものが無性に食べたくなることがある。東京電力や国は罪深い。地震や津波対策などやるべきことをやらず、故郷をこんな状態にした」と話します。
ここがスタート
村の復興方針は、当面、高齢者を中心に生活再建し、若い世代の帰還を促進するとしています。復興担当者によると、診療や買い物のための交通支援無料サービスをはじめ、歯科診療所を再開。秋には村中心部の役場近くに高齢者住宅が完成予定。震災前に営業していた3店は今年中に再開する意向です。
前出の一夫さんは「国や東電が原発事故被害が終わったかのように、除染、賠償、健康問題など、福島県民の切実な願いを打ち切ろうとしているが、″避難解除で終わりでなく、これからがスタートだ″と言う村幹部の発言を貫いてほしい」と話しています。
(「しんぶん赤旗」2016年8月1日より転載)