原発事故によって1万人以上が避難している南相馬市で、帰還困難区域(1世帯2人)を除く避難指示が、7月12日に解除されました。
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解除前の住民説明会では、放射線量によって3段階ある避難指示区域のうち、上から2番目の「居住制限区域」に指定されている小高区西部地区の住民から、政府の原子力災害現地対策本部の「宅地やその周辺の除染が終わり、生活環境が整った」という解除理由に対して異論が相次ぎました。
「安全のレベルが安心に達していない」
「東京オリンピックありきで解除を急いでいるのではないか?」
「農地除染は終わりましたと一方的に解除されて、農業を自由にやってもいいと言われても、いったい誰が作物を買うのか? 農村地帯は生活が成り立たない」
「解除に伴い自由な居住が可能になるとおっしゃるけど、自分の家に居住するのは当たり前のこと。原発事故で、わたしたちは当たり前の生活を奪われた。解除を恩恵のように言うのはやめてほしい」
「寄り添っているとおっしゃるけど、どんどん離れていかれているように感じる」
解除されれば、市内に住む除染作業員約1万人の何割かが、より第1原発に近い小高区に作業員宿舎を移すとみられていて、住民よりも作業員の方が多い町になるのではないかという治安面の不安を口にする人もいました。
しかし、一日も早く住み慣れた家に戻りたい」「家に帰らなければ何も始まらない」「仮設住宅ではなく、自分の家で死にたい」という切実な声も多かったのです。
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「解除YesNoで住民投票をやってほしい」という声も上がりましたが、その意向調査は行われないまま南相馬市の避難指示は解除されました。
常磐線原ノ町—小高駅間も、解除と同時に運行が再開され、わたしは12日に乗車しました。常磐線の中で流れる景色を眺めながら、7月6日の夕方、JR小高駅の前でひっそりと行われたセレモニーを思い出していました。
相馬農業高校の農業クラブの生徒たち13人が小高駅を訪れ、駅長に自分たちの手で作った花のプランター15鉢を贈呈したのです。
柔道家のようにどっしりした体格の菅野貴弘くん(17)があいさつをしました。
菅野くんの家がある小高区大高は比較的線量が高い西部地区です。
「ベゴニアには、幸福な日々という花言葉があります」
「大富は自然が豊かで、きれいなところでした」
都会への電力供給のために破壊された共同体の「自然」と「幸福な日々」をどのようにして取り戻すのか—、都会で暮らす方々にも我が事として考えてほしいと切に願います。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者)
(月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2016年7月25日より転載)