「生活とか生き方を見つめ直す5年間だった」。福島県須賀川市立小学校教師の伊藤弥(わたる)さん(56)は、東京電力福島第1原発事故後の5年間をそう振り返ります。
須賀川市に生まれ、東京の大学を卒業後、福島県で教師になって33年になります。
■授業で取り組む
福島第1原発から約60キロ、東日本大震災で堤防が決壊した藤沼湖から約8キロの場所にある小学校で教師をしています。
「原発事故から逃げないで正面から取り上げたい」と、小学5、6年生を対象に「地域の人に学ぶ福島の復興」と題して6時間の授業に取り組んでいます。
授業のプランはこうです。
【1時間目】その日わたしたちは何を経験したのか【2時間目】なぜ、原発事故が起きたのか、どうして福島に原発があったのか【3時間目】放射線はわたしたちにどのような影響をおよぼしているのか【4時間目】これからのエネルギーを福島から提案する 原発はなくすべきか、続けてもよいのか【5時間目】チャレンジ、福島の再生【6時間目】今、福島から何か発信できるのか。
クラスの子どもの父親でキュウリとトマトを栽培している農家の畑の見学学習、いわき市のかまぼこ工場、コメの全袋検査の様子も見学しました。
子どもたちは伊藤さんの授業からどんな感想をもち、何を学び取っているでしょうか。
生徒たちの感想を聞くと、「原発が爆発した原因は、津波だけでなく、水で冷やせなくなったこともあったということを知りました。福島に原発ができたのは、海沿いであったことや地元の要望もあったことがわかりました」
「私は、原発は減らすべきだと思います。あと、廃止した国が二つあったことがおどろきでした」
「他の県の人たちが支援やボランティアに来てくれて、私は次に震災などが起きたら、恩返しをしていきたいと思いました」—。
■批判的に見る力
伊藤さんは「放射線学習では賢く怖がること。社会問題としての原発を批判的に見ていく力をつけさせたい。どうやって生きていく力をつけさせるのか。風評被害や分断を乗り越えていく力をどう育てるか」を心がけました。
立ち尽くしているだけでなく、授業で得た知識や経験を生かせるように文化祭で劇を作って上演しました。
「3・11」後、外遊びをしなくなった子どもが増えました。里山が除染されていないことから山で遊ぶことがなくなり、自然の中での遊びの体験をしていない子どもがいます。落ち着かない子、気持ちが荒(すさ)んでいる震災っ子。「子どもが育っていく上で自然が原体験ではなくなり、田舎で子育てするよさが奪われていく」危機感を持っています。
「目先のメリットより遠くのデメリットに目をつむってはいけない。逃げずに、意見を言える次世代を育てなければいけない」と教壇に立っています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年7月25日より転載)