東京電力福島第1原発事故で浪江町津島地区から福島市内に避難している今野正悦(こんの・まさよし)さん(67)は「怒りの5年間だった」と、故郷を奪われた悔しさを語ります。
「3.11」」の日、公民館の館長をしていた今野さんは、「次々に避難してくる人たちを自宅を含めて受け入れていた」と言います。
福島第1原発から北西に約25キロ離れた浪江町津島地区。事故後の3月12日から4日間にわたり、多くの浪江町民が避難生活を送りました。国は12日、原発から北西方向への放射性物質拡散を緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI(スピーディ)」で予測し、津島地区に放射性物質が降り注ぐことが分かっていました。
線量を知らされず
しかし、国、県からは何も伝えられず、浪江町は線量を把握できずにいました。13日には地区の東側で高い線量を計測していました。知らされていない津島地区の人たちは誰もが安全だと信じていました。
今野さんは今も鮮明に記憶していることがあります。帰還困難区域指定について説明した国が、「いつ帰れるのか」という住民の質問に「100年は帰られない」と言い放ったことです。
今野さんは、津島地区に伝わる郷土芸能の三匹獅子舞や福島県重要無形文化財に指定されている田植え踊りなどの「座元」をしていました。
座元は、芸能に使用する道具、衣装の一切を保管し、練習の場を提供し、練習時にはお茶や夜食などの面倒をみます。
津島地区には郷土芸能保存会があり、郷土芸能を継承するだけでなく、地域のつながりを保つ一つの手段にもなっていました。
保存会員は全国にバラバラに避難していて、集まって練習する場所もなく、保存会員の中には亡くなった人もいて、教える人がいなくなれば途絶えて消滅する危機に直面しています。
「故郷があったからこそ郷土芸能が成り立つ。故郷が消えた。なんとしても取り戻したい」
被ばく避けられた
津島地区の人たちはSPEEDIの情報を国によって隠されたために、本来避けられた放射能被ばくを受けました。
今野さんたち109世帯377人は、国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めて浪江町津島訴訟を起こしました。原告に加わった今野さんは「今、自分の家に帰るとき許可を取らないと帰れない。こんな理不尽なことがあっていいのですか。故郷を取り戻そうと裁判に踏み切りました」と話します。
「国は危険を知りつつ対策を取らなかった。誠意を持った賠償を国の責任でやってほしい。安倍首相は、福島は無くなってもよいと考えているように私たちには見えます。福島の教訓を生かさず原発再稼働を推進している。原発はなくすべきです」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年6月27日より転載)