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“福島に生きる”知人の死に強く決意・・須賀川市で生業訴訟原告団に参加 長井 公一さん(69)

16-6-6ikiru 福島県須賀川市に住む長井公一さん(69)は「熊本地震は、あれほど激しく揺れたのに川内(せんだい)原発を止めないなんて、とんでもないことです。福島の教訓を何も学んでいない」と、国や原子力規制委員会の対応に怒ります。

 「3・11からの5年間は「無我夢中だった」と振り返ります。

 須賀川市の民主商工会や九条の会など三つの新聞編集を担当しています。

 編集の仕事の原点は、個人紙「かたくり」発行の経験でした。生業(なりわい)訴訟の原告として「原発ゼロ」や裁判の勝利をめざす記事を各団体の新聞に書いて発信してきました。

 長井さんを突き動かしてきた背景には知人の死があります。漬物の師で、キャベツ農家の樽川(たるかわ)久志さん=当時(64)=が2011年3月24日、東京電力福島第1原発事故に抗議し、自宅裏で命を絶ったのです。

 長井さんが久志さんと初めて出会ったのは、新婦人の会のたくあん漬け講習会でした。その後、白菜漬けや「手前味噌(みそ)作り」も教わりました。

 東日本大震災が起きた3月11日には、重税反対集会で会い、漬物石について教わっていたところでした。「ご子息の和也さんが裁判の証言台に立ったこともあり、この裁判は負けられません」と強い決意です。

 13年2月の須賀川民主商工会の生業訴訟の説明会で原告団に加わり、毎回欠かさず裁判を傍聴してきました。

 14年6月、日本共産党後援会「結いの会」の企画で訪れて、浪江町の様子にショックを受けました。浪江町は″神隠し″の町になっていました。参加者の懸想文を「あの日のまま」としてまとめ、全国に向けて800部発行しました。

 長井さんは山形大学で林学を学び、卒業後は高校の生物の教師を定年まで勤めました。在職中に「自然保護指導員」としてボランティア活動をしました。

 それだけに山林の除染が困難に直面していることに心を痛めています。

 「放射能で汚された森林がきれいにならなくては、里は元に戻らない。原発事故を負わされた福島県民だからこそ、突然人間としての営みを奪われた理不尽・無念・怒りを書き表して行動につなげたい」との思いは深い。

 国会前の行動に参加し、地元でも月1回「原発ゼロ」を訴えています。

 「未来を、ふるさとを、生業を奪う原発は人類と共存できない」。

 秋には樽川和也さん主演の映画「大地を受け継ぐ」を地元須賀川で、原発ゼロをめざす会と九条の会を中心に実行委員会をつくり、上映する準備をしています。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2016年6月6日より転載)