「福島と日本の未来のために被害者のままでは終われない」。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団事務局次長を務める服部崇さん(はっとり たかし・45)は「3・11からは「たたかいの5年間」だったと振り返ります。
福島県北農民連の事務局長も務める服部さんは5年前、東日本大震災直後から中通り地方に避難してきた被災者たちの救援に取り組みました。その経験を熊本地震でも生かそうと地震直後にコメ、野菜、水など生活物資などを熊本県の被災地に届け、炊き出しの拠点作りなど援助してきました。
「今度は俺たちが頑張る」と福島県農民連全体で義援金などを届けています。
■たたかいヘー変
服部さんが東京電力福島第1原発事故に遭遇したのは福島県北農民連の事務局長になって7年目の時でした。「原発事故前は、農家の税金対策や消費者とつながる産直運動が中心でした。『3・11』後から東電と国とのたたかいへと一変した」といいます。
農業県の福島県にとってコメ、果樹など農産品価格の下落は「営農が続けられるか瀬戸際の事態」でした。
「放射能被害の相談は毎日発生して、毎月欠かさず東電に請求。上京してデモや交渉をおこなった」
2011年8月。出荷時期をむかえたモモでしたが、放射能を検出。価格が大幅に下落しました。年に1回しかない農家の収入です。「東電との交渉は命をかけたたたかいでした。夜まで続きました」。同年8月31日、東電の広瀬直己常務(現社長)と直接電話で交渉して前年の収入の差額を賠償させるスタイルで合意し、ルールとして確立しました。
■難癖で打ち切り
しかし、農地はメチャクチャにされたままでした。とりわけモモやリンゴなどの果樹園の畑は、根っこを切ることになる土の反転による除染はできません。このことから「原状回復」は一番の要求です。
「5年や6年で元通りになると思われては困る」
5年が過ぎて、「(東電が)これまでできていた賠償のスタイルに難癖をつけて、打ち切るケースが増えてきた」と言います。「営業努力が足らないから回復しない」と決め付けて賠償を打ち切る例が出ていることです。
「放射能被害には根も葉もある。あらゆる対策をとっても元に戻っていない実態があるのだから完全賠償はゆずれない」
生業訴訟第18回口頭弁論で中通りの検証が決まりました。「検証の一つに農民連の会員の梨農家があります。中通りの被害立証へ全力をあげます」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年5月31日より転載)