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南相馬 柳美里が出会う⑪・・遠くの桜 遠くの日常

夜ノ森地域の桜並木
夜ノ森地域の桜並木(富岡町の震災日記から転載=山本雅彦)

 熊本地震が起こる前日のことです。わたしは、福島県双葉郡富岡町の夜ノ森地区に行きました。

 原発事故後、富岡町は全地域が「警戒区域」に指定され、住民は5年が過ぎた現在も避難生活を余儀なくされています。

 初めて夜ノ森の桜並木の下を歩いたのは、2011年4月21日、「警戒区域」が発令される数時間前のことでした。あの年は例年よりも寒く、あの日は風も吹いていませんでした。桜は無人の町で、満開のまま散るのを耐えていました。

 わたしは、毎年、夜ノ森の桜を見に来ています。避難区域は放射線量によって再編され、桜並木は「居住制限区域」と「帰還困難区域」の境界にあるゲートで分断されています。

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 被曝した桜を伐採して線量を下げるという話も出たそうですが、富岡町民の多くがこの桜並木を心の拠り所にしているため、樹皮を剥いだり枝を払ったりするという除染を経て木々は残っています。

 今年は例年より暖かく、わたしが暮らしている南相馬でも、はじめて桜は既に散ってしまいました。

 地元でビジネスホテルを経営している平山勉さん(49)が事前に許可申請を出してくださり、帰還困難区域に入ることができたのですが、平山さんは車を運転しながら桜のことを心配して気もそぞろでした。

 そして、曲がり角をゆっくり折れると、「あぁ、あった!」と歓声をあげたのです。

 前方には、雲の塊のような桜並木が今年も待っていてくれました。

 同乗していたKさん(31)は、この桜並木に魅入れられて原発事故の3年前に、郡山から富岡町に引っ越してきたそうです。

 「あそこが、わたしの住んでいたところです」と彼女は桜並木の真ん中にあるアパートを指しました。美しく咲き誇る桜は、家や店の荒廃を際立たせてもいました。「時間の墓場」という言葉がわたしの中に浮かびました。日常とは、時間の経験に他なりません。時間の経験の全てが過去のものとなったとき、その町は廃虚となります。

 車から降りた後、彼女は道の真ん中に立って桜吹雪を全身に浴び、散った花びらが吹き寄せられた道端にかがみ込みました。

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 その夜、わたしは、桜の夢を見ました。

 曲がり角を折れて桜並木は見えているのに、走っても走っても、行き着くことができない・・、桜は遠いままなのです。

 原発事故は夢の中の話ではありません。日本各地に原発は点在し、地震や津波や火山噴火の危険は高まっています。いつ何時、わたしたちが暮らしている地域が「警戒区域」に指定され、立ち入り禁止にならないとも限らないのです。

 遠くの桜、遠くの日常は、わたしたちの暮らしの中に潜在しています。

ゆう・みり 作家 写真も筆者)

(月1回掲載)

(「しんぶん赤旗」2016年4月25日より転載)