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チェルノブイリあす30年 原発事故また起こりうる・・推進の自国批判

ウクライナのチェルノフイリ原発近郊にある廃虚の町プリピャチ=4月22日(ロイター)
ウクライナのチェルノフイリ原発近郊にある廃虚の町プリピャチ=4月22日(ロイター)

 【モスクワ=時事】2015年ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの女性作家・ジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(67)は、4月26日の旧ソ連チェルノブイリ原発事故30年を前に、英BBC放送のインタビューで「脱原発」を主張しました。原発を狙ったテロの脅威を訴える一方、独裁下の自国で議論がないまま進む原発建設にも疑問を呈しました。

 ベラルーシは、ウクライナ北部の原発周辺よりも放射能汚染地域が広かったことで知られます。アレクシエービッチさんは、事故処理作業員や強制移住者らを取材して1997缶‐に「チェルノブイリの祈り 未来の物語」(邦題)を出版。原発のある文明社会に警鐘を鳴らしています。

 アレクシエービッチさんは出版時、欧米の読者から「無秩序なロシア人たちだから事故が起きた。われわれにはあり得ない」と反論されました。福島原発事故前、北海道を訪れた際にも「日本では同様の事故がないよう対策が講じられている」と言われたといいます。

 ですが「福島の事故が起きてしまった」。アレクシエービッチさんは、際限なき欲望に基づく文明社会の様式を変えない限り「チェルノブイリや福島のようなことはまた起こり得る」と主張します。

 他方、3月のベルギー連続テロに絡み、容疑者が原発を狙った大規模テロも計画していたことに言及。「テロ容疑者は、原発を巨大な爆弾に転用しようとするだろう。これは危険そのものだ」と訴え、代替エネルギーを見つけられず、原発に囲まれた文明社会のリスクを指摘しました。

 福島原発事故後、ベラルーシ北西部オストロベツではロシアの協力で原発建設が着工しました。アレクシエービッチさんは「チェルノブイリで最大の被害を受けた国なのに原発建設の賛否の議論がない。独裁下では1人が全てを決めている」と述べ、ルカシェンコ大統領を批判しました。

 

人影なく、あるじは野生動物・・原発近郊ウクライナ・プリピャチ

cyeruno-tizu 史上最悪規模の放射能汚染をもたらした1986年4月の旧ソ連チェルノブイリ原発事故から26日で30年が経過します。隣接するウクライナ北部の原発城下町プリピャチでは、当時の住民約5万人が強制避難させられ、高層住宅街は廃虚と化しました。町からは人間の営みは消え、あるじは野生動物に取って代わったようです。

 当局の特別許可を検問所で提示し、市街地に入ります。「メインストリートだった」(元住民)という道路は、長い時間を経て草木が生い茂り、狭い林道のようになっています。抜けると、文化会館やホテルなどが囲う中央広場が広がりました。

 小さな動物が近づいてきました。町を案内する元住民が、なじみのキツネの名前を「セミョン」と親しみを込めて呼びます。3年前から姿を見せるようになった雄で、関係者らの間では人気者です。好物は肉やソーセージ、魚など。他にもウサギ、シカ、オオカミ、イノシシ、ヤマネコ、ワシなど野生動物が町で観察されるといいます。

 原発から約2キロのプリピャチは、原発作業員らのために森を切り開いて70年につくられた比較的新しい町です。元住民は「事故前、町で野生動物など見掛けなかった。今は野生動物があるじで、人間は訪問客にすぎない」と話しました。

 プリピャチを含め、原発の半径30キロの立ち入り制限区域から強制避難させられた住民は10万人以上。大半は首都キエフに移住しました。自主的な帰郷者が90年代に約1000人に上りました。高齢者が多く、現在は約80人に減少。元住民が望郷の念を抱く中、30年が過ぎます。

(プリピャチ=時事)

 

ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん=2015年10月、ベルリン(AFP時事)

ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん=2015年10月、ベル リン(AFP時事)
ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん=2015年10月、ベル
リン(AFP時事)

 1948年旧ソ連ウクライナ生まれ。ベラルーシ国立大卒業後、ジャーナリストとして活動し、ノンフィクション第1作「戦争は女の顔をしていない」(84年)で第2次大戦に従軍した女性の生の声を伝え、映画化もされました。他の代表作に「アフガン帰還兵の証言」(90年)、「チェルノブイリの祈り 未来の物語」(97年)。2015年にノーベル文学賞を受賞。(モスクワ=時事)

(「しんぶん赤旗」2016年4月25日より転載)