5月27日、政府は、南相馬市に出していた避難指示を7月12日に解除すると発表しました。桜井勝延市長と協議し合意に至ったということなので、解除されるのでしょう。対象となるのは、3516世帯1万967人で、1万人を超える地域の避難指示が解除されるのは初めてです。
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当初は4月頭に解除されるという見通しで、準備宿泊は昨年8月31日からはじまっていましたが、実際に宿泊している住民は2削弱でした。
先日、臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」でわたしが担当している番組「ふたりとひとり」に、避難区域で暮らしていた75歳のTさんに出演していただきました。
「それは帰りたいです。けれども、おはようございます、のあいさつをする隣近所がいないところには、なかなか帰れません」とTさんは言葉を選び選び言いました。
原発事故前、Tさんは息子夫婦との同居の話を進めていたのだそうです。
「妻と息子の嫁が話し合っていたんですけど、もうウハウハだったんですよ。毎日孫の顔を見ながら生活できるなんて。3月半ばに引っ越してくる予定だったんです。部屋の準備も進めていたし、何時の電車で来るから、車で駅に迎えに行くという話までしていて、夫婦でそれはそれは楽しみにしていたんですよ」
原発事故で「警戒区域」に指定されたことによって、同居の話は立ち消えになり、Tさんは「これからのことを息子夫妻に尋ねる勇気はない」と言います。
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核家族化か進んでいる都会とは異なり、福島県の浜通りでは、3世代、4世代の家族十数人が一つの家(大きな母屋と離れがある日本家屋)に同居している場合が多いのです。そしてそれは、農業、林業で生計を立てる上での本拠であり、貨幣的価値観ではない暮らしの豊かさや安心を生み出していたのです。
息子が大学を出てサラリーマンになっても、上の世代が先祖から受け継いだ田畑や山林を守りつづけ、祖父母や父母が老いたり亡くなったりしたら、息子は妻子を連れて帰郷する・・、その暗黙の了解が機能していたのです。
避難指示が解除されても、原発事故が破壊した家族、隣近所という共同体は元には戻りません。変わり果てた暮らしの中に帰還する高齢者の不安と孤独を「仕方ない」で済ませることは正義に反するのではないでしょうか。
わたしは、彼らの苦しみを視界の中心に据えて、7月12日という日を迎えたいと思います。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者)
(月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2016年5月30日より転載)