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“福島に生きる”土汚された怒り忘れない・・ナシ農家 阿部哲也さん(51)

ナシ畑で作業する阿部さん
ナシ畑で作業する阿部さん

「農家は物を作る喜び、収穫できる喜び、消費者から『おいしい』と喜んでもらえる楽しさから成り立っています。自然の恵みを提供してくれる大地が原発の放射能で汚された。怒りはどこにぶつけたら良いのか」

栽培面積日本一

福島市笹木野でナシをメーンにモモ、リンゴなど1・5ヘクタールの果樹栽培をする阿部哲也さん(51)の怒りはおさまりません。

阿部さんは東京の大学の法学部を卒業し会社員になりました。父親の病気をきっかけに26歳で専業農家を継ぎました。

父は他界。「地域の人たちに支えられて教わりながら果樹栽培の基本を覚えました」といいます。

阿部さんが住む笹木野萱場(かやば)地区は、120年の歴史のある萱場ナシの名産地です。

鴫原佐蔵(しぎはら・さぞう)氏(故人)が自生している野生の山ナシを見つけて苗木を取り寄せて育てたのが始まりと言われています。

萱場ナシのブランドとしてまとまった地区での栽培面積は日本一を誇ります。吾妻連峰のふもとに位置し、水はけの良い、高温多湿、昼夜の気温差が大きくナシの栽培に適しています。「剪定(せんてい)は特に経験が必要だった」と苦労を振り返る阿部さん。「花芽と葉芽の見分けができずに花芽を切ってしまい不作にしてしまったこともあります」

「福島第1原発の事故前は10キロ1箱2000円から2500円でした。事故から3年になりますが1000円は下落したままです。50%は個人の贈答用の販売でした。そうした消費者の注文は2割から3割は減ったままです」

2013年9月、大学の協力を得て2週間、積算放射線量を測るガラスバッジを付けて農作業をしたところ「年間2・1ミリシーベルトはあった」といいます。高い放射線量のなかで農作業をしてきました。

「妻と、77歳になる母親との家族農業。放射能の危険性は知らされなかった」

教育の場 奪った

地元の中学生の総合学習の一環として年数回にわたって果樹園内で農作業の体験をしてきましたが中止となりました。

「50年以上続いてきた伝統が途絶えた。子どもたちが地域とのつながりを学ぶ教育の場すら原発事故は奪った」と語ります。

原発事故からまもなく3年。「怒りを持ち続けることが大切」と言う阿部さん。「『忘れてもらったほうが良い』という意見もあります。でも、減収被害は自然にはなくなりません。果樹類の放射線量は検出されていません。それでも買ってもらえない。福島の今をありのままに訴えていく必要がある」と、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟に加わりました。

萱場ナシの産地を守るためです。

安倍内閣が「原発は基盤となる重要なベース電源」としたことに「福島のことをどう考えているのか。俺たちは浮かばれない。何としても阻止しなければ。再稼働反対です」と決意しています。
(菅野尚夫)

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