関西外国語大学を今年卒業した大阪府門真市出身の五藤かおりさん(23)は、「福島に骨を埋める覚悟」で住民票を福島に移し、福島県民になりました。
原発事故に伴い同県浪江町大堀から二本松市に移転した浪江の陶芸家協同組合の工房で働いています。電話応対や会計処理をこなしながら、県内の窯に通い陶芸の基礎から少しずつ学んでいます。
東京電力福島第1原発事故で避難区域となった浪江町。同町の大堀地域には伝統工芸「大堀相馬焼」が江戸時代初期(1690年)から続いてきました。青ひび、走り馬の文様、二重焼が特徴です。
ひび割れが模様のように器全体をおおっていることから「青ひび」と呼ばれており、この模様が、作品を親しみやすいものにしています。
■原料が汚染され
大堀相燃焼の大きな特徴とされる青磁釉(せいじゆう)の原料「砥出石(とやまいし)」は大堀のみで採れるもの。原発事故で「砥出石」が放射能で汚染されて使用できなくなりました。
砥出石の代替が開発されたものの、陶芸家は離散。後継者不足や技術の継承が困難となっていました。
江戸時代末期には100余りの窯元が並ぶ東北地方で一番大きな産地でしたが、現在は9軒の窯元が焼き物を作り続けています。
東日本大震災と原発事故が起きたのは、五藤さんの高校卒業直前でした。大学入学後に参加した福島県主催の大学生交流事業に触発され、学生団体「ふくしま福光プロジェクト」を設立。毎年夏に交流ツアーを組み、学生を暮って福島を訪問してきました。
■吸い込まれそう
「英語の教師になりたい」と関西外国語大学に学びましたが、福島で見た光景は「人生を変える」出来事となりました。浪江町はゴーストタウン。「気をしっかり持っていないとそっちに吸い込まれて、持っていかれそうになる。ここはどうなっていくのだろう」と考えました。
五藤さんは昨年、福島に移り住み、大堀相馬焼の販路拡大と継承に乗り出しました。大都会で暮らしていた五藤さん。「福島の青く澄んだ空、おいしい空気、都会では見られない本当の空が生き返らせてくれました」
福島行きを親や周囲の知人らはみんな反対しました。「何であんたが行くの? どうして行くの? 原発事故があったのに…」と忠告してくれました。
「人に役立つ仕事をしたい」と思っていた五藤さん。「浪江の人の思いを伝えたい。再生の力になりたい」と福島への移住を決断しました。
「大堀相馬焼作りを学びながら海外に紹介する。名脇役になれればいいのかな」
大堀相馬焼の「松永窯」4代目が作品の海外展開を目指して起業したと知り「語学を生かせる。福島で自分にできることがここにある」と協同組合への入社を決めました。
「原発事故の被害が顕著に現れている福島。徐々にでも原発ゼロにしたほうが良いです。私は福島が大好きです」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年4月4日より転載)