海に向かい手を合わせ、あの日に思いをはせ、そして未来を見つめる―。東日本大震災・東京電力福島第1原発事故から5年をむかえた3月11日、被災地では犠牲者を悼む姿が絶えませんでした。死者・行方不明者1万8455人、震災後の傷病悪化などによる震災関連死は全国で3407人に達しています。いまだに17万4471人が避難生活を強いられています。住まいも仕事・生業(なりわい)もすべてが再建には程遠い状況。原発事故も収束の展望が見えません。被災者は、安倍政権の冷たい姿勢に怒り、公的支援の継続・拡充や賠償などを強く求めています。
「あの日のことは忘れない」―。岩手県宮古市田老地区では11日、高さ10メートルの防潮堤の上から遺族ら約300人が海に向かって手をつなぎ、大津波による犠牲者に思いをはせました。復興にあたる工事関係者も作業を止め参加しました。
宮古市では大津波の影響で、517人の市民が犠牲になりました。
地震発生の午後2時46分に合わせて、歌詞に「津波」が出てくる田老第一中学校の校歌3番を2回合唱し、黙とうしました。
防潮堤での黙とうに岩手県宮古市から参加した男性(77)は「津波で家が流された。親せきも亡くなった。いい感じのしない5年間だった」と声を詰まらせました。親族の遺体はいまだ見つかっていません。
神奈川県横浜市戸塚区から参加した男性(17)は「祖母が被災したが無事でした。当時中学1年生で、テレビで津波を見て不安になりました。今後はボランティアもやってみたい」と語りました。
宮城県石巻市門脇町の「がんばろう!石巻」と書かれた看板の前では、600人以上の市民らが黙とうしました。看板はこの場所で被災した男性らが「津波に負けたくない、地域を励ましたい」との思いで、2011年4月に立てました。
妻=当時(58)=を亡くした男性(66)は「3月11日は来てほしくない。一年で一番つらい日」と涙を流しました。
昨年9月に東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除された福島県楢葉町。同県いわき市に避難する女性(56)が献花台の前で、震災で亡くなった両親に「来春には同町に戻ります」と報告。「戻ったら納骨してあげたい。少しは気持ちに区切りがつくかな」と話しました。
(「しんぶん赤旗」2016年3月12日より転載)