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“福島に生きる”止まった町 写し出す・・写真家 飛田晋秀さん(68)

被災者の写真を見せる飛田さん
被災者の写真を見せる飛田さん

 「三春」と言えば国の天然記念物に指定され樹齢1000年を超える「滝桜」が思い浮かびます。

■桜が背中押した

 福島県三春町に生まれ住む写真家、飛田晋秀さん(68)は東京電力福島第1原発事故の後、「滝桜のシャッターを切ることができなかった時期があった」といいます。「美しいものを『きれい』と受け入れられない自分がいた。春をめでる心を許さなかった」からです。「自然を壊した人間の一人として申し訳ない気持ちがシャッターを押させなかった」のです。

 桜と長い時間向き合い、対話しました。「くよくよするな。悩む必要はないよ」。1000年を生きた桜の声は、飛田さんにそう諭して背中を押してくれました。

 2015年の春。原発事故の影響で避難区域となっている富岡町の夜ノ森の1500本の桜並木に、放射能防護服で身を固めて見入る女性の後ろ姿を涙流して撮りました。飛田さんが桜を撮ったのは福島原発事故後4年がたっていました。

 飛田さんは、もともとは日本の職人の撮影を専門にしていたプロ・カメラマンです。写真集『三春の職人』(朝日新聞出版)など多数があります。

 「3・11」後は「作風がまるっきり変わった」と言われました。

 福島第1原発の事故後に現地の状況がどうなっているのか。11年4月下旬から7月末、いわき市小名浜、広野町などに入りました。

 地震で倒壊し朽ちた家屋、荒れ果てた常磐線の駅、津波で破壊された漁業施設、野生化した家畜、耕作が放棄されて雑草が伸び放題の田畑、無人化した街並み、「3・11」からときを刻むのをやめた時計・・。

 翌12年から、避難区域にも許可をとって撮影に入っています。

 「自分の家に行くのに許可を取らないと行けない古里。言葉で言っても理解されない現実も写真ならば伝わる」とねらいを定めます。

 目に見えない放射能の恐怖をどのように映像化するのか。街に人がいないゴーストタウン。

 「人を撮りたくても人がいなくて撮れない」。除染した廃棄物を入れたフレコンバッグを突き破って芽を出した樹木。風の音。線量計を持ちながらシャッターチャンスを待ちます。

 歯科技工士を18歳から37年間してきました。写真コンテストに入選したことを機会にプロ写真家になりました。

 「テーマをもつべきだ」とアドバイスを受け、「物づくりの大切さを伝えたい」と「自分の町の職人を撮り続けて1年4ヵ月間、新聞に連載しました」。

 福島原発事故後飛田さんのライフワークは「福島のすがた」を記録することになりました。撮った写真は、アメリカ、オーストリア、フランス、ドイツ、カナダなど海外と北海道から九州までの全国各地で展示会と講演会を重ねています。

■次世代に伝える

 飛田さんの講演を聞いた富岡町から避難している小学生は「『前はどこに住んでいたの?』と聞かれ答えることができませんでした。思い出したくなかったのかもしれません。記憶を心の隅に隠そうとしているのかもしれません」と感想を書いています。

 飛田さんは「子どもたちは真剣に聞いています。小学生や中学生など次世代への警鐘として、将来の日本の姿を考える糧として、見てほしい」と願っています。

 「3・11」から5年。「あっというまの5年間でした。原発事故は私たちの代で終わりにならない人災です。つらくても、つらくても恐ろしさを伝え続けていかなければなりません。他の原発が再稼働をしたならば日本はだめになります。『福島のようになっていいのか』が問われます。真実を伝え続けていく」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」201637日より転載)