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光求め被災者は苦悶・・福島から北海道に避難 中里範忠さんの手記

離散した地元住民にミニ新聞・・今も解除されない20キロ内外

(写真・上)=福島から一緒に避難してきた愛犬の三太郎と中里さん=北海道富良野市 (写真・下)=現在の福島県南相馬市小高区川房。水田をつぶして、汚染土壌を詰めた土のうを積む作業が行われています=1月17日
(写真・上)=福島から一緒に避難してきた愛犬の三太郎と中里さん=北海道富良野市
(写真・下)=現在の福島県南相馬市小高区川房。水田をつぶして、汚染土壌を詰めた土のうを積む作業が行われています=1月17日

東日本大震災から3年がたとうとしています。東京電力福島第1原発の事故で避難生活を余儀なくされている福島県民は、いまなお13万7306人(1月現在)います。南相馬市の中里範志さん(76)もその一人。全国に離散した地元集落の住民にあてて、お互いの様子を伝えあう新聞を北海道富良野市で発行し続ける中里さんに、いまの思いを書いてもらいました。

私は東京電力福島第1原発から北西に15キロの地点の南相馬市で被災し、今はふるさとから直線で650キロも離れた北海道富良野市に避難しています。もう帰還をあきらめたのかと尋ねられることがありますが、そうではありません。長くない残余の人生を「仮」のまま過ごしたくない、今という時間を愛おしく生きたいと考えたらこういう選択になったのです。

心のなかの風景

この3年間、同じ集落の人を対象にミニ新聞「川房通信」を発行して送り届けてきました。

その第2号(2011年4月13日)に、強制避難をさせられてだれもいなくなってしまった集落をイメージして詩のようなものを載せました。

『「夜の川房」
さくらが咲いています
こぶしが咲いています
だれもいません
くらやみに星空ばかり
しんしんと放射能が
ふりそそいでいます
東電社長「天災、想定外、
申し訳ない」だって』

これは私の心のなかの風景ですが、いまでも変わりません。

人家の灯りもなければ、車のライトもない、高い送電鉄塔の上に赤いライトだけが点滅している。音も聞こえない。人の営みがあれば子どもの声やテレビの音声が聞こえたり、防災無線のアナウンス、救急車の音、犬の鳴き声などがあるはずなのに。

置き去りにされたペツトも放れ牛も死に絶え、勢力を増したイノシシだけが闇のなかを走り回わり、家の中はネズミの天下です。

みなさんもなじみの場所をイメージしてみてください。半径20キロ、人っ子ひとりなく暗闇だけが支配している世界を。

実はいまも半径20キロの内側とその外側の帰還困難区域など、避難指示が解除されていないところはこの状態なのです。

これは被害の広さといい奥深さといい世界史上最悪のものだと思います。自然災害ではありません。人災なのです。

事故原因を究明しないまま、そして責任の所在を曖昧にしたまま、いまもって増え続けている汚染水をコントロールできないままで原発を再稼働するということはいかなる理由を掲げようが犯罪行為といわざるを得ません。

農業は成立せず

国直轄の除染作業が南相馬市でもようやく始まりましたが、数値目標を示していません。

都会と違い、面の広がりがある山里のごく一部を除染しても行動範囲は限定されます。肥沃な土壌は取り除かれて痩せた土地では農業は成り立ちません。

政府は、原子炉の「冷温停止状態・収束宣言」と同じように、おおよそのところで「除染完了・避難指示解除」をしようとしていることは明々白々です。

早く戻りたいという被災者の素直な心情を逆用して事故を小さく見せ、かつ賠償額を少なくしようとしています。

4年目に入るいま、被災者はどうやって将来に光をみいだそうかと苦悶しているのです。

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