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断てぬ故郷への愛着・・浪江町津島集団訴訟 原告 今野洋一八(76)、和子さん(70)

「故郷への愛着は断ち切れない」と語る今野さん夫妻
「故郷への愛着は断ち切れない」と語る今野さん夫妻

 「落胆と失望の連続だった」。福島県浪江町津島から須賀川市に避難している今野洋一さん(76)と妻の和子さん(70)は、東京電力福島第1原発事故後4年9ヵ月の生活についてそう語ります。

 「どんなに楽しいことがあっても心の底から笑えない。面白いとは思えなかった」と言います。国や東電を相手取り、損害賠償と地区の原状回復などを求める浪江町津島集団訴訟の原告団(今野秀則団長)に加わっています。

■命奪われた仲間

 「なんらの落ち度がないにもかかわらず、原発事故のためにふるさとを追われた怒りが収まらない。国と東電の責任をはっきりさせたい」からです。

 腎臓病患者で透析が欠かせない洋一さん。原発事故は「致命的な事態を招きかねなかった」といいます。「3・11」後に救急車で運ばれたことは5回にも。

 「大混乱の中で透析ができずに亡くなった仲間は私が知るだけでも数人はいます。原発事故さえなければ死ぬことはなかった。寂しく、悲しい」

 今野さんの津島の自宅は旧国道114号に面したところにあります。窓際には東電や国、世相を痛烈に風刺した落首(らくしゅ)が張り出されています。

 「今日も暮れゆく仮設の村で友よつらかろせつなかろ」(2011年5月)。「いつか帰る日を思い一時帰宅したときに書きました」

 「仮設で涙流すのも東電さんのおかけです 東電さんよありがとう」(2011年12月 里帰りのとき)

 「今年は梅の花まだ開花せず主なしとて春をわすれるな」(2012年4月)

 いずれも今野さんの作品です。

 福島県沿岸部に原発建設計画が持ち上がったとき、反対運動を起こした人たちがいました。

 「私らは、この小さい声に耳を傾けませんでした。あのころに聞いていたらこんな事態は起きなかった」と後悔します。

 「帰還困難地区は放置されています。除染も始まっていません。今後どうなっていくのかが不安です」

 和子さんは言います。「(夫の)透析のことで苦労しました。通院しなければなりません。眠れない。親は事故から1年目のときに避難生活で衰弱し、亡くなりました。こういう体験は二度としたくありません。原発の再稼働など絶対反対です」

■戦争法にも反対

 洋一さんは「故郷への愛着を断ち切ることはできない」と言います。「私は太平洋戦争開戦前に生まれました。『太平洋を制する』願いを込めて命名したと聞きます。妻の和子は対照的。『早く平和になってほしいという願いが込められました』」

 洋一さんは、戦争が終わった後に米兵がジープで来たときのことを今も鮮明に覚えています。

 「土足で校舎に上がってきました。無礼なやり方だと感じました。戦争法は反対です。アメリカからの圧力がかかっている。原発反対。戦争反対です」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年12月21日より転載)