日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > “福島に生きる”牛たちを夫婦で守った・・酪農家 斉藤憲雄さん(69)房子さん(69)

“福島に生きる”牛たちを夫婦で守った・・酪農家 斉藤憲雄さん(69)房子さん(69)

牛の世話をする斉藤さん夫妻
牛の世話をする斉藤さん夫妻

 「けさ子牛が生まれた」。斉藤憲雄さん(69)と房子さん(69)夫妻は福島県東部に位置する川俣町の阿武隈山系で25頭の牛を飼っています。

 出産後の母牛の体調が思わしくなく心配です。「原発事故後、牛に異変が起きる例が増えた。しかし、事故との因果関係を立証できない」と憲雄さんはいいます。

■出荷自粛で廃棄

 東京電力福島第1原発から35キロに位置する斉藤さんの牛舎。2011年3月の原発事故後、その年の秋までの間に5頭の牛が亡くなり、2頭は早産して廃牛にしました。牛乳の出荷自粛が3ヵ月続き、搾乳した牛乳は捨てていました。

 大震災で停電になり、そのために手搾りで搾りました。「搾らないと牛は乳房炎をおこします。搾った乳牛が販売できなくとも続けなければ牛がダメになる」からです。

 餌の牧草は周辺の草で自給していました。それが放射能に汚染されて外国から購入せざるを得なくなりました。

 自宅近くの牧草地は、牛に与えることができない牧草でも毎年育てて刈り取っていかないと、竹やススキ、ツル性の植物に覆われてしまいます。そのため、牛に与えられないのに牧草を育てて刈り取り保管しました。

 「牧草を牛に与えられるように元の牧草地に戻してほしい。牧草他の放射線量が減少しないのなら山全体をきれいにしてほしい」

 一部に放射線量が基準をこえる草があるために、機械を自分で買って、土を30センチ天地変えして除染しました。「東電はこうした出費について賠償しない。で、生業(なりわい)訴訟(中島孝原告団長)の原告に加わった。4年たっても事故前の経営には戻りません」といいます。

 「3・11」の時、長男夫婦と高校1年、中学1年、小学5年の孫たちは東京に半年間避難しました。「牛たちは私たち夫婦で守りました。東電は謝罪もしない。ごせやける(腹が立つ)」

 憲雄さんは、福島交通の自動車整備工でした。酪農家に育った房子さんとスキーを通じて知り合い結婚。整備工をしながら兼業で酪農に従事しました。「専業で牛の世話をするようになったのは定年後です。基礎がなく、まだ1年生ですよ」と憲雄さん。

■将来が見えない

 斉藤さん夫妻は、子どもたちと孫たちに酪農を継がせたいと考えていました。「継がせる準備を整えてバトンを渡そうと考えていたものの原発事故で将来が見えなくなった」といいます。

 追い打ちのTPP(環太平洋連携協定)の大筋合意。落胆を隠せません。「遺伝子組み換えの穀物や乳製品が入ってくる。牛乳1リットル97円。水よりも安い」

 豊かな自然に恵まれた川俣町。房子さんはいいます。「放射線量を気にしながら生きるのは苦痛です。原発事故は二度と起こさないでほしい。故郷が汚されています。孫たちを外で思い切り遊ばせることもできません。原発は絶対に安全などありえません。再稼働などもっての外です」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年11月11日より転載)