福島県川俣町で代々、葉タバコを生産してきた渋谷岩男さん(74)、徳子さん(69)夫妻は孫娘の健康が心配です。
長女は飯舘村に嫁ぎました。「3・11」後、全村避難となり、当時小学校6年生だった孫娘は、友達との別れや川俣町のプレハブ仮設校舎での勉強などで体調を崩しました。「高校1年生になりますが、全面回復とはいえません」と徳子さんは心を痛めています。
■二十数%は廃作
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の原告に加わったのは孫娘に寄り添い、希望に満ちた将来を残してあげたかったからです。
川俣町は東北地方をはじめとした東日本が主産地の葉タバコ、バーレー種を生産してきました。もう一つの品種の黄色(おうしょく)種と調和性がよく、遮光したビニールハウスや屋内につって、約3週間から1カ月かけて自然乾燥する方法が一般的です。高齢化が進むタバコ農家にとっては重労働です。
葉タバコは、天候に左右されます。雨が降らない日が続くと、渋谷夫妻らはタンクで水を運び、水やりをしました。思うようにいかずに立ち枯れ病や、えそ病に悩まされたころもありました。
28歳のときから農業委員を務めてきた岩男さん。「病害を克服し、栽培技術をめて収穫できたときには大きな喜びでした」
従来の技術とは異質の問題が発生したのが東京電力福島第1原発事故でした。葉タバコから1キログラムあたり120ベクレルの基準を超える放射能が検出されて、川俣町では4年間栽培が休作してきました。
実証試験栽培が3年になります。再開を認められた農家で二十数%は廃作しました。「川俣町飯坂地区は4軒しかいません。原発事故を機に『やめっぺ』となれば、この地域のタバコ農家は消滅です」と語ります。
■戦争法案阻止を
岩男さんは、地域で日本共産党の支部長をしています。
「戦争が終わったときは4歳でした。父親は東シナ海で戦死しました」と、戦争を直接体験している世代です。「出征するときに父親を駅まで送りに行き、帰ってきたのは白木の箱だけでした。終戦間際にはこんな田舎にB29が飛来したことも記憶しています」
原発の再稼働と戦争法案強行の危険が増しているなかで「生業訴訟の口頭弁論の日には毎回みんなで傍聴にいっています。戦争法案阻止では宣伝カーをだしてアピールしようと思っています」と意欲朧々です。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年6月21日より転載)