「力があればもっといろんなことができた」。日本共産党福島・伊達震災・原発被災者支援センター事務局長の佐藤大河さん(28)は、「3・11]」からの4年間の活動についてそう振り返ります。
全国からの支援物資やボランティア活動の調整取りまとめをしてきました。
■支援物資届ける
「仮設住宅は矛盾が集中している」。県北地域の仮設住宅をくまなく訪問。支援物資を届け、要望を聞いて感じていることです。
「進行中の人災です。模索しながらやってきましたが、あっという間に4年がすぎようとしています。矛盾を解決して、本当の収束へ役割を果たしたい」
佐藤さんがもう一つ力を入れているのが、毎週金曜日に福島市内で行っている原発ゼロを訴える福島金曜行動です。
2011年12月16日、民主党政権の野田佳彦首相が「収束宣言」を表明したことから、「黙っているわけにはいかない」と、金曜行動を福島でも行うことにしました。募金で買ったドラム、タンバリンなどの準備と搬送。縁の下で支えます。
川内原発に続いて原子力規制委員会が高浜原発について、再稼働の前提となる新規制基準に「適合」とする審査書を決定したことに危機感を強めています。
「安倍首相は『原発は大丈夫』といって再稼働を加速させています。救援活動と『原発ゼロ』の実現と両輪でやっています」
中学卒業後、すぐには高校に進学しませんでした。「人生に期待できずにバイトなどで働いてきました」
バイトは継続性がなく、不安定。「希望がもてない」と、単位制高校で学びました。決められた単位を修得すれば卒業が認められる高校です。「週3回通学して授業を受け、13年春に卒業しました」
福島市内で映画を見ていたとき、「3・11」に遭遇しました。映画館職員の適切な避難誘導で無事に避難できました。館外に出ると遠くで火災が起きていることを目撃。地震の被害が大きいことがわかりました。
■避難先から戻る
福島第1原発の水素爆発が起きた(2011年3月)12日、避難するかどうか迫られました。ともに医療機関で働く両親は患者の命を守ることを優先し、避難できません。14日、母親の実家がある新潟県に妹と避難しました。
2週間ほど新潟にいましたが「大変なことが起きているとき、自分は何もしないでよいのか」と福島に戻りました。
「福島の矛盾は政治を変えないと根本的に解決できません。道半ばです。実態に目を向けず福島を切り捨てていこうとしている安倍政権の政治と対決して、真の復興と完全賠償をめざしていく」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年3月6日より転載)