福島県二本松市に住む伊藤紘さん(72)は、「3・11」から3年11カ月になる現在も寝るときにはジャージを着て寝ています。いざというときにいつでも飛び出して動けるようにするためです。「熟睡できません」
■救援活動に奔走
放射線量の高い福島市渡利地区に娘が働いています。「娘は飲料水や野菜などに気を使って暮らしている」と言います。
自宅周辺の除染がようやく始まりました。雨どいのゴミの線量を測定すると「驚くほど高かった」といいます。「事故当時は県外に避難しようと考えました。娘夫婦をおいてはいけないと福島に留まりました」
二本松市内には11力所、1069戸の仮設住宅があり、浪江町などから避難している被災者が生活しています。浪江町の仮庁舎も二本松市内に置かれています。
伊藤さんは、大震災直後は、仲間と炊き出し、被災者訪問活動や全国から届いた救援物資の配布に奔走しました。被災者を訪ねて要望を聞き、救援活動に役立ててきました。
二本松地方労連議長など労働組合や民主団体の役員を務めた経験を持つ伊藤さん。労組や民主団体の仲間とともに復興二本松市民共同センターを設置。全国からの支援物資の受け入れ体制を確立しました。
県立安積高校で野球部のキャッチャーでした。福島大学学芸部卒業後、中学の保健体育の教師を務めました。関係者には教育に携わる人が多くいました。
「教師になることは決まっていたのですが、威厳があって近づき難い先生にはなりたくなかった。なかなか決断できなかった」
伊藤さんを後押ししたのは、「小・中学校の時の担任の先生が子どもとのふれあいを大切にしてくれました。そんな先生にあこがれて教師になることを決断しました」という伊藤さん。
「組合活動をする中で世の中を見る目を養い、教師活動の支柱となりました」と言います。
■核兵器も原発も
二本松市は『智恵子抄』の高村智恵子の生まれたところです。安達太良山の「本当の空」は、放射能で汚されました。安達太良山を毎日見上げると、教え子への思いが去来します。
「子どもたちの未来を思うとどうなるのか怒り心頭だ」
原水爆禁止二本松協議会代表を務める伊藤さん。「広島、長崎、福島は三位一体の活動」と核兵器廃絶と原発ゼロの取り組みを強めています。
「安倍首相は原発の再稼働を推進しています。放射線を浴びた私たちにとっては絶対に許せないことです」と危機感を強めます。
「教員を退職した後に、改めて1週間ほど広島に夫婦で行き、原爆の恐ろしさを胸に刻んできました。核兵器廃絶と原発ゼロは一つです。福島の低線量被爆は今も続き、被災当事者に私もなりました」
3月14日には「原発のない福島へ 県民大集会」を開きます。「逆流を許さない県民の意思を全国に示す」ために取り組んでいます。
(「しんぶん赤旗」201年2月16日より転載)