「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」原告団県中支部世話人の岡田哲夫さん(61)は郡山地方労働組合総連合事務局長です。昨年まで務めていた高校教師を定年退職し、組合活動に専念しています。
福島大学教育学部を卒業後、「読んだり、考えたりする力をつける国語の教師になった」岡田さん。夜間高校や養護学校などでの経験から「何が分かって、何が分からないのか、生徒とやりとりして授業をすることができるようになった」といいます。
■組合活動が背骨
「福島県立高等学校教職員組合の書記長を5年間、委員長を1年間務めました。自分を律したり、つねに教わったり、勉強したりする必要がありました。組織に感謝しています。この道に悔いはありません。生きる背骨になっています」
大学の先輩、後輩の間柄でもある生業訴訟原告団福島支部世話人の渡辺保子さん(72)は「世話人会議でも見込みで話をしない。確実な裏づけのあることについて発言し、きちんとやる人ですね」と、岡田さんの誠実な姿勢に注目します。
岡田さんは、「3・11」」の日は「入試の結果を発表する準備をしていました」。福島県の沿岸部に原発建設が持ち上がったころから反対でしたが、「まさか爆発するようなことはないだろう」と思っていました。「万一、事故が起きたとしても60キロも離れた郡山まで放射能が飛んでくるとは思ってもいなかった。原発建設阻止の運動が弱かった」と反省しています。
「福島第1原発が爆発した後の1週間は、ガソリン確保などで外に出て放射能にさらされました。放射線量を簡易測定器で測ると、毎時10マイクロシーベルトを超えるところもありました」
避難者の支援・救援活動に奔走する中で共闘組織のこおりやま復興共同センターに参加し、「何をやる必要があるのかについて論議をしてきました」。
民主商工会や郡山地方農民運が中心になって国と東京電力に完全賠償を求める運動が始まり、直接交渉が行われました。その後、原状回復と損害賠償を求める訴訟が呼びかけられ、「学習会に参加し、国と東電の責任を追及する最もよい裁判だと思い、原告に加わりました」。
原発事故から3年9ヵ月が過ぎて岡田さんは「原発ゼロ、再稼働反対の福島県民の意識も当初とは違い、薄れてきている」と心配します。
■100万人署名必ず
「廃炉はもちろん、全県民的な運動として原発ゼロ100万人署名活動に取り組みたい」と語る岡田さん。「安倍首相は再稼働を推進し、原発の輸出まで進めようとしています。こんなことを許すならば『福島県民は何をしているのだ』と言われてしまいます。生業訴訟の裁判に勝利することで原発ゼロにする責任があります」と話しています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年12月29日より転載)