3月11日の事故直後から数日間の事故対応や、津波対策などの事前の備えなどについて、聴取のやりとりを追ってきました。
吉田氏は、「(炉心溶融した1、2、3号機)3つ暴れているものがあって、判断しないといけないときに、もうわからなくなってしまう」「(3号機の危機的状況に)そのとき死ぬと思いました」と、過酷事故に直面し、手に負えないと実感したことをしばしば繰り返しています。
ひとたび事故が起これば制御困難に陥る原発の本質的な危険を物語っています。
さらに現場を支援するはずの東電本店からは「問い合わせが多い」だけ。経産省原子力安全・保安院(当時)をはじめ政府の関係機関も役割を果たしていなかったことを明かしています。
吉田氏が「だれも助けに来なかったではないか。本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず」と語っているほどです。
一方で、東京電力が従来の想定を大きく上回る津波が来るという複数の試算を早い時期から得ながら、「一番重要なのはお金」と、費用を惜しんで対策を怠ったことをはじめ、過酷事故対策への備えがないために、事故対応が困難を極め、手順書も役立たず、人も足りず、情報伝達も混乱したことなどを浮き彫りにしています。
津波想定では、吉田氏は津波対策などを担当する原子力設備管理部長としてかかわっていました。証言から浮かび上がるのは、原発の過酷事故など起こらないとする「安全神話」の罪深さです。
吉田氏は、備えのなかった言い訳を「電源がなくなると考えなかった」「(10メートル規模の津波)そんなのって、来るの」などと「想定外」に求めています。
しかし、日本共産党の吉井英勝衆院議員(当時)が2010年、全電源喪失で核燃料が損傷し、放射性物質による汚染が発生する可能性を指摘し、政府に対策を求めています。
吉井氏は津波対策でも06年に国会質問。津波の引き波によって海から取水できずに冷却不能に陥る危険性を警告し、津波対策強化を要求しています。党福島県委員会も東電に「(津波で)過酷事故に至る危険がある」と申し入れているほか、地元の市民団体も水位の上昇によるポンプの水没の危険を指摘し、対策強化を繰り返し求めていました。
政府も東電もこれらの警告をいっさい無視してきたのです。
吉田氏は、地震が起きた時、引き波の危険性が念頭にあったと証言していますが、警告を無視してきた経緯には言及していません。
原子力規制委員会の新規制基準の欠陥も改めて問われます。吉田氏の証言を読むと、「水位は信用できない」と、原子炉を監視する水位計が機能しなかったことで事態の認識を誤ったと語っています。
しかし、新規制基準は、水位計などの基準検討を先送りして、福島第1原発事故の教訓をくみつくさず拙速に作られました。この基準にもとづく審査で「適合した」といっても、安全が保障されないことは明らかです。
吉田調書で語られた事故の過酷な状況は「原発ゼロ」しかないことを改めて示しています。
(おわり)
(この連載は三木利博が担当しました)
(「しんぶん赤旗」2014年10月8日より転載)