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“福島に生きる”原発はならぬもの・・生業訴訟原告団 高井昌夫さん(67)

原発事故による被害を訴える高井昌夫さん(右端)と家族
原発事故による被害を訴える高井昌夫さん(右端)と家族

 高井昌夫さん(67)は、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団会津支部代表です。会津若松市の被害者160人が原告に加わっています。

■奈良県から移住

 高井さんは、「ぬくいから」「あかん」という関西弁と、「見てらんしょ」「うまぐね(よくない)」といった会津弁とをごちゃ混ぜに話します。

 西会津に住む友人から「来ないか」と誘われて奈良県から移住して40年。「本場関西お好み焼き・たこ坊」と土産物の卸業を営んでいます。「上り調子でしたが、ガタンガタンと(売り上げが)落ち込みました」と、東京電力福島第1原発事故の風評被害の実態を話します。

 「店にはインターネットで知った学生さんが来てくれていました。ところが、原発事故後は来なくなりゼロです。近くにある富士通の工場などで働いている人たちが宴会を自粛しました。飲み会の自粛は今も続いています」と高井さん。

 「地元の野菜は新鮮。価格も安い」。しかし、福島産のキャベツなどが使えず、他県の野菜に変えざるを得ませんでした。

 「98円のキャベツが350円もしました。ネギは京都産九条ネギを使っていますが、北陸道を走ってきたトラックは、新潟までしか運ばない。放射能を恐れて『福島には運べない』といわれました。京都からは『どうなっているのか』と電話が入るやら・・」と、3年前の混乱を振り返ります。

 会津ナンバーの車で東京に行ったときは、ガソリンも入れてもらえませんでした。料金を払おうとしたら「ちょっとお待ちください」と手袋をとりに行き、手袋をして料金を受け取られたこともありました。車にキズを付けられたこともありました。「心のキズは治りません」

 次女の武藤妙さん(32)は、中学生に陸上を教えていました。「県でもトップクラスの学校でした。外で走らせることができなくなり生徒たちは夢を断念させられました」

 高井さんは、お好み焼き店のほか、ホテル、旅館、ドライブインなどに民芸品の「赤べこ」や「起き上がりこぼし」、地酒、まんじゅうなどを卸していました。

■「ほったらかし」

 「(売り上げが)60%は減った」といいます。「NHKの大河ドラマ『八重の桜』の効果で観光客は増えました。しかし、客が増えているのは観光会社と提携しているドライブインなどです。地域は潤っていない。8割から9割は戻ったけれども、

卸業は平均するとダメ」

 会津地方は比較的放射線量が低いことから「ほったらかし」だといいます。

 国と東京電力は「えらいことしてくれはった」という高井さん。「放射能を飛ばしておいて後始末しない。ほったらかし。元の福島に戻してほしい」

 「ならぬもの(原発)はならぬのです」。高井さんの魂の叫びです。          

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2014年6月10日より転載)

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