日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 農家民宿、再開したよ・・「塔前の家」ふれあいが魅力/南相馬市

農家民宿、再開したよ・・「塔前の家」ふれあいが魅力/南相馬市

斉藤さん夫婦。(写真下)再開した塔前の家=南相馬市鹿島区
斉藤さん夫婦。(写真下)再開した塔前の家=南相馬市鹿島区

東日本大震災の津波で流され、廃業した農家民宿が、今年3月、新しい場所で2年ぶりに再開しました。初めての夏。福島県南相馬市を訪ねました。

福島駅からバスで約2時間。南相馬市鹿島区に建つのが農家民宿「塔前(とうめ)の家」です。「いらっしゃい」。穏やかな笑顔で主の佐藤ひろ子さん(63)が迎えてくれました。

2011年3月11日。激しい揺れに見舞われた時、ひろ子さんは自宅にいました。海岸から約2キロです。

「停電でテレビはつかないし、散らかった家の中をどうするか考えていました」

近所の人が車に子どもを乗せ、あわてて出ていきました。

「どうしたんだろう」

2階から様子を見ようと、たまたま預かっていた6カ月の孫を抱いて階段を上がりかけた、その時−。音もなく泥水が押し寄せてきました。

「早く、上がれ」。同居していた夫の母親(82)が慌てながら、ひろ子さんを後ろから押し上げました。

ガラガラドシャン、大音響が響き、1階は水没。65軒の集落で16人が亡くなりました。

「いつか必ず…」

合併前の旧鹿島町は、農業・自然体験に力を入れていました。05年、10軒の農家のお母さんたちが農家民宿を同時オープン。「塔前の家」もその一つでした。

「宿泊体験の小学生が分宿して一緒にトマトやナスをもいだり、韓国の子どもたちが泊まったときは折り紙で遊んだり…。ふれあいが一番の魅力」

楽しそうに当時の話をするひろ子さん。転々として「気がおかしくなりそう」だった避難生活の支えは「いつか必ず農家民宿を再開する」でした。

昨年(2012年)6月、同じ鹿島区に中古住宅と畑を購入。農家民宿を再申請し、一歩を踏み出しました。建築業で働く夫の景信さん(62)も「お客さんが来て話をすると元気になる」と後押ししました。

再開時、ほかの農家民宿のお母さんたちがお祝いに駆けつけました。同じ鹿島区で「森のふるさと」を営む森キヨ子さんは「本当にうれしい。仲間だもの」と声を弾ませます。ひろ子さんは「いろんな人が食器や冷凍庫を譲ってくれたり、助成金の申請を手伝ってくれたり。一人じゃできなかった」としみじみ言います。

現実見てほしい

米の作付け制限は3年目に入りました。ひろ子さんが腕をふるった取れたて野菜も、今は地元の直売所で検査済みの野菜を買う日々。直売所「四季彩」の責任者、桑折(こおり)哲夫さん(67)は「出荷していた農家の3分の1が放射能被害で野菜づくりをやめた」と顔を曇らせます。

「原発の事故が起こるとどうなるか、現実を見に来てほしい」と景信さんは言います。泥まみれの自宅の惨状もお客さんに見せ、「津波被害を伝えたい」と。

とはいえ、2人に気負いはありません。「無理せず楽しみながら、人が自然と集まる場所にしたい」とひろ子さん。景信さんも「親戚の家みたいに、のんびりくつろいでほしい」と笑顔を見せました。(君塚陽子)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です