「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟
「この裁判が『人類史に画期をなす大きな変化をつくり出した』と後世に語り継がれるものにしなければならない」
福島県相馬市でスーパーを経営する中島孝社長(57)は「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(福島地裁)の第1回口頭弁論でそう陳述しました。
■「乗り子」ネット
中島さんが住む相馬市松川浦は、福島県東北端にあって東は太平洋に面しています。ノルウェー沖、カナダのニューファンドランド島沖と競う世界三大漁場をひかえた金華山沿岸に隣接する原釜港(相馬港)があり、ここからはトロールや刺し網の漁船250隻が漁に出ていました。
東京電力福島第1原発事故で海に広がった放射能汚染水の影響により、漁は自粛させられました。東電は今年7月になって新たに汚染地下水が海に流出していると公表しました。
「これで漁復活の見通しは絶望的な状況に追い込まれました。東電は、がんばろうと思っていた漁師を崖っぷちから突き押したような大打撃を加えました。漁業とともに暮らしてきた地域経済にとっても他人事ではないです」と、怒りを新たにしている中島さん。魚の行商をしていた父親とスーパーの店舗を構えたのが28年前。地域に密着した地産地消で市場に通い、新鮮な魚や手作り弁当や総菜などを消費者に提供してきました。
相馬市は大震災で479人(今年3月現在)の命が奪われました。浜に2軒あったスーパーは流されました。高台にあった中島さんの店舗は無事でした。従業員とともにポリタンクなどを集めて水を確保。被災者に配りました。水や食料を求めて殺到する客。大震災から3日目にはすべての商品がカラッポに。備蓄していた米を放出しおにぎりを作り、避難者に提供しました。
大震災から1カ月が過ぎた4月中ごろ、店に買い物に来た若い漁師の奥さんから「お金が底をつきました。食べ物が不足して、どうやって生きていけばいいのか」と訴えられました。
自宅が無事だった漁師など被災者が避難所から自宅に戻ると支援物資の配布が止まりました。市と交渉。自ら配布することを条件に各戸の被災者にも届くように手配しました。130人の災害困窮者を名簿化して支援物資が届くようにしました。漁船に乗る人たちを意味する「乗り子」ネットワークと命名。助け合いました。「中島ストアは命の恩人」と今も感謝されています。
今年3月には、原発事故からの完全な救済と、原発からの脱却を求めて、裁判を起こしました。原告は、沖縄県など全国に避難した被災者も加わりました。800人の集団訴訟。9月10日に第2次提訴を準備しています。
■原告1万人目標
「1万人の原告団を目標にしています。これだけの被害をもたらしているにもかかわらずに国は原発を止めようとしていない。国民の願いを踏みにじるこんな横柄な国はない」という中島さん。訴訟では東電だけでなく、国も初めて被告にしました。
放射線量が事故前の数値に回復するまで原告1人当たり月額5万円の支払いを求めています。中島さんは「店舗は息子に任せて、多くの時間を裁判闘争に使っています。国と東電に勝訴して人類の暮らしのエネルギーが原発から自然エネルギーに変える豊かな社会の転機としたい」と述べています。(菅野尚夫)