東京電力福島第1原子力発電所構内で、収束・廃炉関連作業中に土砂崩れで生き埋めとなり、作業員の安藤堅(かたし)さん(55)が死亡した事故(3月28日)から1カ月がたちます。安藤さんの郷里、新潟県五泉市で悲しみにくれる父親の文男さん(84)、母親のチエさん(82)に無念の思いを聞きました。
(山本眞直)
「なんでこげなことに」。残雪をかぶった遠くの山並みを見つめながら庭先でつぶやくチエさんの肩が小刻みにふるえます。
堅さんは1人っ子でした。側で文男さんは「原発関係で働いていることは知っていたが、まさか掘削作業の先頭になってあんな仕事をしているとは聞いてなかった」。
「心配すんなね」それが最後の声
堅さんはJR磐越西線でつながる五泉市の実家には週末ごとに帰宅、元気な姿を見せていました。仕事が終わった夜、よく電話をかけてきました。チエさんが両手で顔を覆いながらいいます。「事故の前の晩も電話があった。おらたちのことは心配ねえから、体に気いつけろよ、と話した。堅は“心配すんなね。ばあちゃんこそ体に気をつけて”と言ってくれた。それが最後の言葉になってしまった。もう声も聞けない」
事故の翌日、離婚した妻と暮らす娘さん(32)が「お父さんに会いたい」と文男さん、チエさんと福島に向かいました。警察の安置所で堅さんと再会した3人は、その場で泣き崩れました。
悲しみを必死にこらえる娘さん。ひつぎで眠る堅さんにすがって「なんでこげなことに」と号泣するチ工さん。文男さんは「堅が笑っているようにしか見えなかった。包帯で顔をぐるぐる巻きにされているのに、そう思うしかなかったよ」と振り返ります。
タクシー運転手をしていた堅さん。不況などで解雇。見つかったのが原発の下請け作業でした。
残された堅さんの携帯電話には子どもの頃の娘さん、かわいがっていた犬の“花子”の写真が保存されていました。
遺体を引き取った29日に五泉市内で火葬に付し、30日に遺骨となって“帰宅”。下請け関係者の姿はありましたが、東電、元請けの東双不動産管理からは誰一人、姿を見せなかったといいます。
堅さんの依頼で両親の生活相談に応じていた日本共産党の猪熊豊市議にチエさんがつらそうにいいました。「まだお経もあげてねえ」
猪熊市議は複数のお寺に相談、その日のうちにお坊さんからお経をあげてもらいました。
「怖かったろう」遺影前に何度も
チエさんが居間に置かれた骨つぼ、遺影を前に目頭をぬぐいながら何度も口にします。「土砂が崩れた瞬間、どれほど怖かったろう。一月になるけど、毎日、眠れない。どうしても小さいときの堅のことや、いろんなことが頭から離れない」
文男さんがいいます。「東電、元請けや下請け会社に、なんで堅があんな姿になったのか、安全対策はどうだったのか、きちんと説明を聞きたい」
(「しんぶん赤旗」2014年4月28日より転載)