
「関心を寄せ続けてください」「一緒に声をあげてほしい」―15年前の福島第1原発事故で福島県から関西地方に避難した5人が13日、神奈川県藤沢市で開かれた講演会で事故当時の様子や避難生活、国と東京電力に賠償を求める裁判について語り、訴えました。
講演会は2012年から被災した親子の保養の受け入れを行ってきた「福島の子どもたちとともに・湘南の会」が開きました。
白河市から和歌山県に行った避難者(49)は、当時地方公務員として不眠不休で災害支援に当たりました。徒歩や自転車でまちを走り回り「水も電気もガスも止まった部屋で放射能まみれで」過ごす毎日。支援を必要とする人がいる限り逃げるわけにいかないと覚悟を決める一方で「いつか絶対に放射能のないまちに避難する」と固く決意し、2年後にようやく和歌山県へ避難しましたが、差別や誹謗(ひぼう)中傷に苦しみました。
今でも福島県に戻ると過呼吸のようになり、毎年事故のあった3月には“予期不安”に襲われます。甲状腺には腫瘍が見つかり、経過観察を続けています。
森松明希子さん(52)は子ども2人と郡山市から大阪府へ母子避難。娘の森松明愛(めいあ)さん(15)は「原発事故への関心が下がったら原発ができるという国にとって都合のいいサイクルがあると思う。大事なのは選挙権のある皆さんの一つひとつの決断。どうか私たち若者を原発のない未来で生きさせてください」と訴えました。
関西訴訟原告団の代表でもある明希子さんは「逃げることは基本的人権。放射能汚染から命と健康を守る権利を絶対に手放さないと、一緒に声をあげてほしい」と呼びかけました。
埼玉県を経て大阪府へ「断腸の思い」で母子避難した母親(61)は事故当時の不安と緊張を語り、娘(24)は周囲から「お父さんがかわいそう。お母さんの選択は間違っていたのでは」と言われたことに対し「避難を決意させるだけの危険な状況が確かにありました。これを否定する権利は誰にもないと思います」と語りました。
(「しんぶん赤旗」2026年6月19日より転載)