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福島に生きる 米つくりをあきらめない・・浪江町出身 佐藤恭一さん(71)

「狭いところに押し込まれていつ帰れるのか分からない夢のない2年半だった」。福島県浪江町から福島市内の「しのぶ台仮設住宅」で避難生活をおくる佐藤恭一さん(71)と富子さん(70)夫妻は、収束のめどがたたない東京電力福島第1原発事故に翻弄(ほんろう)された2年半をそう振り返ります。

恭一さんは建設資材を運ぶドライバーでしたが、父親が亡くなり、30代に農業を継ぎました。

大震災前は、4町5反の田んぼでコシヒカリを専門に作ってきました。トラクター、コンバイン、乾燥機などの農機具のローンの支払いも終わり、「借金を気にせずに米作りに専念できる」と、楽しみでした。

「いつでも戻れれば米作りは再開できる」と思っていたのに、全町避難となった浪江町。佐藤さん夫妻が住む地域は、年間20ミリシーベルト以下の避難指示解除準備区域。昼間の出入りは可能ですが宿泊は禁止されています。「草刈りにいく程度」です。

「作付けの見通しもなく、例え作付けしても米を買ってもらえるのか保証はまったくない」と、農業再生への見通しはありません。

筆立てが評判

大震災直後、福島県内の避難所を転々とした後に新潟県に避難。避難所でボランティアの人が教えていたペンや携帯電話、テレビのリモコンなど小物を入れる「筆立て」作りを見よう見まねで覚えました。

仮設住宅住まいとなり、「ただボーっと生きていてもダメ。何かしよう」と「内職代わり」に筆立て作りを始めました。デザインは佐藤さんのオリジナルです。

新日本婦人の会の催しで展示販売しました。仮設にボランティアに来た人たちを通じて評判になり、注文が来るようになりました。

「生きている」

「福島で仮設暮らしをしている老人の思いをくみ取ってほしい」と佐藤さん。「どっこい生きている」というメッセージを筆立てにこめています。

佐藤さん夫妻の一番の願いは、農業に復帰することです。

米作り、野菜作りがあきらめられません。仮設住宅の近くに畑を借りて野菜作りを始めました。

「1畝(せ)=(99・17平方メートル)の畑にキュウリやブロッコリーなどを作って楽しんでいる」といいます。

富子さんはいいます。「最近の汚染水の問題をみていると、浪江町に簡単には帰れないと感じます。いつ戻れるのか不安です。国も東電も隠すことをしないでほしい。せめて自分たちの食べる食料だけでも自分の田畑で作りたい」(菅野尚夫)

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