2011年の東京電力福島第1原発事故で、生まれ育った南相馬市を奪われ滋賀県に避難しました。脱原発の思いを布絵と詩に込め、ギャラリーなどで発表しています。
白地に朱がにじむ布団生地の空、絞り染めの田畑を耕す牛と人、とりどりの帯を締めた子らが野道を駆けて行きます。端切れを貼り合わせ豊かな故郷を表現した絵に、詩が添えられます。「ヒロシマ木の葉のように焼かれてフクシマゴミのように棄(す)てられて」
根っからの南相馬っ子。裁縫好きで服の多くは自作です。事故前から原発差し止め裁判に夫と関わっていたものの、家族と愛犬ライゾウとの暮らしを原発は絶ちました。
避難後はやり場のない憤りで心を壊しかけました。なぜ自分はここにいるのか。気づけば自身や家族の古着を裁ちばさみでやみくもに切り刻んでいました。それを裏紙に貼り付けたのがきっかけです。
福島で脱原発を訴えるのは難しい。補償がなく高線量の地に住むしかない人、放射能への危機感の違いで崩壊した家庭。「おまえらのようなのが福島が危険だと吹聴しているんだ」とも言われました。
幾重もの分断、続く原発推進政策。忘れられない故郷。「放射能から逃げているだけのやせ細った人生にしたくない」
事故の賠償を求めた生業(なりわい)裁判、福井の原発差し止め裁判の原告でもあります。「東北の女(おなご)は鬼さなる」。般若の脇にこう添えました。
文・写真 林 直子
(「しんぶん赤旗」2022年11月21日より転載)