防衛庁長官を務めた父の地盤を受け継ぎ、2000年に旧民主党から初当選。政調会長などを歴任し菅直人政権で外相を務めました。外相時代は、東京電力福島原発事故後も原発輸出政策を推進するとともに、沖縄県の米軍普天間基地の名護市辺野古への「移設」に固執。環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加にも前のめりの姿勢を示しました。15年の安保法制=戦争法に反対する日本共産党との連携に反発して離党。17年9月に自民党に入党し、同年10月の衆院選で自民党公認候補として出馬し当選しました。
衆院兵庫11区、当選8回、63歳、麻生派
(「しんぶん赤旗」2022年11月22日より転載)