東京電力福島第1原発事故から11年が過ぎた今も、多くの住民が避難を強いられ、東京23区の半分以上にあたる面積が「帰還困難区域」です。「福島のいま」を学ぼうと日本民主青年同盟は、原発事故で暮らしが奪われた街並みを直接見て、住民の話を聞き考える活動に取り組んでいます。(中川亮)
被災地でのボランティアやアンケート調査を行ってきた福島県の民青メンバーは今年、埼玉県の民青の仲間と一緒に、原発付近の街や震災遺構を訪れる「福島浜通りフィールドワーク」を開催(1日)。学生から気候変動やエネルギー問題への強い関心、「原発について考えたい」との声が寄せられたことがきっかけでした。
フィールドワークには福島、埼玉両県から約30人の青年が参加。「原発事故被害いわき市民訴訟」原告団長の伊東達也さん(80)が現地を案内しました。
大型バスで第1原発付近に向かうと、朽ち果てた家屋や商店が散見されます。青年らは「ゴーストタウンだね」「原発作業員の人たちは被ばくし続けているんだよね」とつぶやき、言葉を詰まらせました。帰還困難区域は7市町村にわたり、道路脇に「高線量区間を含む」「軽車両 歩行者は通行できません」などと書かれた看板が立てられていました。
■人災だった
3・11前から重大事故の危険を訴え続けてきたのが、伊東さんら住民でした。
1971年に運転を開始した第1原発が60年のチリ地震津波被害も考慮せずにつくられたものだと明らかにし、抜本対策を繰り返し要求。しかし東電も国も耳を傾けず、事故当日を迎えることになりました。
「事故は起こるべくして起こった」。伊東さんと一緒に原発の危険性を訴えてきた宝鏡寺(楢葉町)の早川篤雄住職(82)は、青年らを前にこう語り、紛れもない人災だと指摘しました。
宝鏡寺境内には、原発事故の教訓を伝える「原発悔恨・伝言の碑」とともに、核兵器も原発もない社会を願う「非核の火」の碑が設置されています。早川さんは「核兵器も原発も人類とは共存できない」と強調します。
伊東さんは、県民共同の草の根の運動で県内全10基の原発を廃炉に追い込んだとして、「『みんなで行動を起こせば、何かは成せる』と、次代を担う皆さんに伝えていきたい」と力を込めます。
■被害を実感
フィールドワークを終え、青年は「自分は原発賛成派だった。でも今日ここに来て、もう一度考え直したいと思った」「取り返しのつかない被害がもたらされたと実感した」などの感想を語り合いました。
さいたま市から来た大学2年生は「廃虚になった街を見て言葉が出なくなった。原発をやめようとしない国や東電に怒りがわいた」といいます。
福島市に住む大学2年生、町田綾さん(19)は「現地を直接訪れ、住民の方の話を聞くことは、原発事故を忘れない、人ごとにしないために大切」と感じています。
(「しんぶん赤旗」2022年5月12日より転載)