役場の議会で発言している最中でした。突き上げられるような強い衝撃。立っていられないほどの揺れ。様相が一変した周りをみながら、脳裏をよぎったのは「原発は大丈夫なのか―」▼11年前の3月11日。福島・浪江町の議員だった馬場績(いさお)さんと原発事故とのたたかいは、その日から始まりました。東京電力、国や県からも連絡が届かないなか、町は山あいの津島地区に避難。その後、そこも危ないと二本松市へ再び避難。判断のもとは、いずれもテレビの情報でした▼議員として、共産党員として、馬場さんは町民の安全や住まいの確保に奔走。なりわいの再建にも力を尽くしてきました。その姿は日常のくらしとふるさとを突然奪われた町民の苦悩と重なります▼「人びとの生活を壊す権利など、どこにもないはず。これほどの負の遺産はない」。昨年30年以上務めた議員を退いた馬場さんは原発にほんろうされてきた日々をふり返ります。ロシア軍によるウクライナの原発攻撃をみても、いかに危険で、世界をおびえさせる存在かと▼いまも帰宅困難区域で戻ることもできない津島地区。国や東電の責任を追及する訴訟には、津島の人口の半数の住民が加わりました。涙に暮れず、怒りを胸に立ち上がった被害者たちが力を合わせて▼裁判の勝利、ふるさとの復興・再生をめざし、これからの人生も住民とともにがんばると馬場さん。「原発と核兵器は人類の平和と決して相いれない。世界からなくならない限り、人びとのたたかいもつづく」
(「しんぶん赤旗」2022年3月11日より転載)