東日本大震災で町の中心地が壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。まちの復興に向けた重要拠点となるのが、かつての中心部に造成された高台で2012年に仮設、17年3月3日に本設オープンした「南三陸さんさん商店街」です。運営主体「南三陸志津川さんさん商店会」の山内大輔会長(42)に震災10年の節目に思いを聞きました。(中川亮)
震災後の殺伐とした中で、この10年ひたすら、がむしゃらにやってきた思いです。
南三陸は食が充実していて、たくさんの方に商店街へ足を運んでいただきました。商店街のブランドグルメ「南三陸キラキラ丼」をはじめ、志津川湾を一望できる展望台、鮮魚店、ご当地の土産店など、それぞれ工夫し、各店舗が「他ができないことをやる」という心持ちで切磋琢磨(せっさたくま)しています。
私は父の経営する「山内鮮魚店」(1949年創業)で23歳のときから働いています。震災・津波では、家族は幸い無事でしたが、店も在庫の食材も全て流されました。
人ごとではない
知人を含め多くの人が亡くなり、たまたまの確率で自分たちが生き残りました。少しでも人生を楽しむ気持ちで生きないとだめなんじゃないかと思いました。人はどこに住もうと、どんな仕事をやろうと、そこで楽しみを見つけてやっていくしかない。震災後、自分は思い切っていろいろなことに踏み出せるようになったと感じています。
阪神・淡路大震災のとき、自分が「人ごと」にしていたと恥ずかしく思ったこともありました。神戸からもボランティアがたくさん来てくれました。「人ごとではない」からです。(19年の)台風19号で長野県に住む支援者の方が被災したときは、海鮮丼のネタと酢飯をいっぱい持って行き、泥だらけの家の前でつくらせてもらったこともありました。
来る意味つくる
震災10年の節目に、コロナという大きな問題に直面しています。鮮魚店や飲食店が頑張ってお客さんを呼び込もうとしていますが、去年のゴールデンウイークはまるっきりダメでした。今も厳しい状況です。3月3日の本設オープン4周年記念の大きなイベントはやらない方向です。
海の食材がとれなくなっている問題もあります。「キラキラ丼」で相当量使うイクラは、サケが取れず価格が上がっています。
いろんな困難は今後もまだまだ起こり得るでしょう。
まちの重要拠点になる「さんさん商店街」が簡単にずっこけるわけにいきません。何事もそうですが、築き上げるためには時間がかかります。この商店街に行くと充実感がある、行く意味があると目指して来てもらえることを目標に、継続、持続していける商店街をつくっていきたい。
(「しんぶん赤旗」2021年2月27日より転載)