「とどまるも地獄、行くも地獄」。「福島原発 浪江町津島訴訟」原告の今野正悦(こんの・まさよし)さん(71)は、7日に福島地裁郡山支部で開かれた最終弁論で意見陳述にたち、そう述べました。
今野さんたちが住んでいた福島県浪江町津島地区。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年がたちましたが、避難先から古里に戻ることができない帰還困難区域です。
昨年11月、浪江町津島にあった自宅は「朽ちていくのを見守るのか、解体するかどうか苦渋の決断」を迫られました。
「築300年になるわが家。先祖が造った庭は、毎年剪定(せんてい)をし、新たに植木を植え、裏庭も造り、福島市にある『花見山』のような庭園にしようという夢もあった。でも母屋は日ごとに朽ちていき、イノシシ、ハクビシンなど獣が家に立ち入って荒れ放題です。イノシシが庭木の根もとを掘り、植木はみんな枯れてしまった」
■無我夢中の10年
自宅は解体。伝統芸能の三匹獅子舞や、田植え踊りの庭元として代々守ってきた母屋と庭を失ってしまいました。
今野さんの家系は、正悦さんで18代になります。武士の家系です。自身は郵便局に35年勤務。退職後は公民館の館長を務めるなど地域で貢献してきました。
「無我夢中で過ごした10年」と「3・11」からの年月を振り返ります。
「3・11」で、浪江町の他地区の住民らが津島に次々に避難してきました。3月12日になると、その数は千数百人にも達し、炊き出しなどでてんてこ舞いとなりました。小中高の体育館、7地区の集会所やお寺、個人宅に避難した人は津島全体で9千人にもなりました。
「私の自宅にも30人は避難していました。15日になり、『全員避難しろ』と指示されて、福島市に避難しました。市内各地を5回も移動しました」
昨年11月、津島地区の復興拠点となった一部の地域で除染作業が始まりました。今野さん宅も除染対象になりました。
「除染の対象になって、家が解体されるのはほんの一部でしかありません。大多数の家屋
は、除染も解体の予定なども示されずに放置されています」
今、津島地域に立ち入りできてもほんのわずかな滞在時間に制限されています。
「屋内を片づけることもできず、せいぜい家の周りの草を刈る程度ですよ。除染がされても本当に安全なのか。心配はつきません」
■判決期待したい
自由に行き来できない不自由さ。「徹底した除染によって自由に出入りできるようにしてほしい」と、原状回復への願いはつきません。
「無理やりに失わされた故郷。残念で悲しい。失った家の再建を果たしたいです。せめて津島に出入りするための拠点となる居場所を確保したい。休憩できる居住環境が整えられるようになれば」と考える今野さん。
「先祖から受け継いだ大切なわが家です。解体したいと思っている人はいません。一生ここで暮らそうと思っていた自宅が、突然解体しなければならない。そんな辛い思いを、もう誰にも味わいさせたくないです」と、悔しい思いをかみしめます。
「原発事故さえなければこんな思いをすることはなかったです。全ての津島の住民が安心して津島に帰れるようになる力となる判決を期待しています」(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2021年2月11日より転載)