毎週金曜日に福島市内で行われている原発ゼロをめざす金曜行動に、毎回参加している人がいます。阿部裕司さん、44歳=福島市=。「再稼働反対」「原発ゼロヘ」「電気は足りている」・・短い言葉でアピールするシュプレヒコール。人前での表現は初体験でした。
■避難容易でない
「福島市内も避難しなくていいのだろうか」と、悩んだこともありました。しかし、年老いた母親と2人暮らしの阿部さんにとって、県外避難は容易ではありません。「原発をゼロにするほか、方法はないのではないか。福島の地元でアピールする意味は大きい。汚染水は『完全にブロックされている』などという安倍首相のとんでもない暴言を封じるためにも金曜行動を続けたい」と決意しています。
「原発は安全だと聞かされていました」。阿部さんは、漠然と原発建設に賛成していました。Jビレッジスタジアムで開催される東電女子サッカー部「マリーゼ」の応援に通いました。「当時は鮫島彩選手や丸山桂里奈選手が所属していて、毎回、見にいっていました」
「安全神話」を信じる気持ちが一変したのは、2011年3月11日以降です。20キロ圏内住民の避難が始まりました。当時、福島市内でも毎時20マイクロシーベルトを超える放射線量の測定値が観測された地点もあり「福島市内も危ないのではないか」と思ったといいます。「自主避難したくてもできなかった。当時は父親も元気で、両親を伴っての避難は無理でした。一人で逃げるわけにはいかなかった」
震災当日は、正社員として働きたいとキャリアアップハローワークで求職中でした。
「グラッときて、ビルごと崩れ、死ぬんじゃないかと思いました。天井が落ちてきて職員は机の下にもぐりこんでいました。自宅に戻って両親の無事を確認しました」と2年8ヵ月前を振り返ります。
停電は免れたものの水道は止まり断水になりました。給水車からの水確保がしばらく続きました。テレビでの原発事故についての報道は楽観できるものではありませんでした。
■友人に誘われて
避難を模索しているときにインターネットで福島金曜行動を知り、マリーゼ観戦で知り合った友人に誘われて参加するようになりました。
原発事故にかんする情報が隠される秘密保護法の成立に危機感を持つ阿部さんはいいます。
「絶対に通してはなりません。現在でも福島県民は東電のウソの情報で混乱させられてきました。信用できない。真実の情報があって安全・安心は確保できると思います」
(菅野尚夫)