福島市に住む根本仁さん(65)は、東京電力福島第1原発事故が起きたときに「今
度こそ原発をとめなければならない」という強い決意をしました。
根本さんは、1971年、大学を卒業してNHKに入りました。最初に赴任したのが長崎県の佐世保放送局でした。7年間の長崎での取材活動で知ったことは、「いまだ人類は核をコントロールできない」という事実でした。
長崎に役下されたプルトニウム型原爆は何万という死者を出し、生き残った人々や被爆2世たちも放射能の後遺症に苦しんできました。そうした姿を見続けてきて「核は人間社会とあいいれない」と確信しました。
原発訴訟参加
その思いは福島原発事故でいっそう強くなりました。
国と東京電力に原状回復と慰謝料を求める「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟に加わりました。
原告として引き受けた役割は証言集づくりでした。長崎での取り組みを生かしたいと考えました。『長崎の証言』が1968年に発刊されました。それから10年後に『季刊長崎の証言』が発行されました。第2次証言運動のスタートでした。根本さんは、「転勤ごとにこの冊子を大切に持ち歩き保存」していました。
「秘密法」阻止
原告団と弁護団との合同会議で証言集づくりを提案。承認されました。今年10月に証言第1集『わが子へ、そして未来の日本の子どもたちへ~私たちが今、伝えておきたいこと』が完成しました。
根本さんは、福島県二本松市に生まれました。2005年6月にNHKを定年退職するまで、ディレクターとしてドラマ、ドキュメンタリー、歌番組、ラジオ番組と多数の作品を手がけてきました。
退職後のついのすみかを、生まれ故郷で実母が住む福島に決めました。
「百姓が父方の生業でした。福島人は百姓をはじめ慎重で用心深い。たびたび冷害に苦しめられ、飢えと身売りの歴史を見てきました。だから用心深い。そうした県民が裁判を起こした。事実を引き出して、それをテコにして能動的に働きかけて原状回復させていく必要がある」と言います。
「原発事故についてはたくさんの事実が隠されている」と見る根本さん。「裁判を通して重要な事実を引き出していかなければならない」と考えています。「真相を究明する課題はまだたくさんある。重要な事実が隠されてしまう秘密保護法は絶対に阻止しなければいけない」と腹をすえて反対運動に参加しています。
(菅野尚夫)