「彼は高浜原発3、4号機増設の貢献者であり、同時に闇の部分にも関与した。モンスターのような存在になってしまった」。3月14日、大阪市内で開かれた関西電力第三者委の記者会見。但木(ただき)敬一委員長は高浜町元助役の森山栄治氏(故人)についてこう語り、金品受領問題の発端が40年以上前にさかのぼるとの認識を示した。(川上桂)【2面に関連記事】
森山氏は、高浜1号機の設置が決まった1969年12月に高浜町に入庁。遅くとも企画課長だった75年から、当時の浜田倫三町長(故人)と3、4号機増設に向けて動きだしていた。住民、議会、漁協、県…。「ありとあらゆる関係者に強力な根回しを行った」(但木委員長)。76、77年には、関電から町の会計ではなく浜田氏の口座に計9億円を振り込ませるという不透明な手法で町道や漁港を整備、増設反対派を収めるなどさまざまな問題を処理した。
森山氏は3、4号機の設置許可が下りた80年以降も暗躍した。85年の運転開始を見届け、町助役を退任する87年までトラブル解決に奔走。温排水を巡る関電と町内の港運会社とのトラブルでも、不透明な土地売買契約で解決した。
当時の芦原義重関電名誉会長、内藤千百里(ちもり)副社長にとって「これほど頼りがいがある人物はいなかった」と但木委員長。NPO法人「原子力資料情報室」(東京)の伴英幸共同代表も「関電にとって森山氏は、高浜でうまく立ち回ってくれた。地元全体を説得するより楽だったはず」とみる。
関電の暗部に関わってきた森山氏は、弱みを握る人物として認識され、地元の有力者からモンスターへと変貌していく。
そして助役退任の1カ月後から、関電役員らへの金品提供を始めた。相手にとっては迷惑な行為だと理解した上で受け取らせ、返却しようとしたら激高、どう喝した。関電と森山氏との疑惑の関係が明らかになれば、金品を受け取った自分のことも発覚するという弱みを植え付けるのが狙いだった。
第三者委は「共犯関係に持ち込む毒、足かせだった」と断定した。その見返りとして、自分の関係する企業に工事発注などの便宜を供与させ、その企業から報酬、謝礼、手数料を得て、それを原資に再び金品を渡す-。いびつな還流構造が出来上がった。
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関電第三者委の調査で、関電から森山氏への便宜供与が明らかになった。約30年に及ぶ「共犯関係」を、調査報告書や関係者の証言からひもとく。
(福井新聞2020年3月18日付けより転載)