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福島に生きる 生業訴訟第一陣原告 石井啓輔さん(76) 孝子さん(77)・・いまも被害続く古里

 福島県浪江町赤宇木(あこうぎ)から同県伊達市に避難している石井啓輔さん(76)、孝子さん(77)夫妻は農業、商店、食品加工業を営んできました。同地区は高い放射線量による帰還困難区域で、今も避難が続いています。

家族離れ離れに

 「原発事故からの8年間は最悪だった」という夫妻。長男夫妻と孫3人と一緒に、7人で暮らしてきましたが東京電力福島第1原発事故で、別々の生活になりました。

 長男夫妻と孫たちは福島県会津若松市、新潟県の体育館、山梨県甲府市の体育館と転々として、今は甲府市で暮らしています。

 啓輔さんと孝子さんは、福島県の二本松市、三春町、郡山市、猪苗代町、桑折町と避難して、今は伊達市に住んでいます。「赤宇木には二度と帰れないだろう」と思っています。

 啓輔さんは、原木の名産地として有名な阿武隈山系で林業をしてきました。シイタケを栽培するときに、種菌をつけるほだ木を育ててきました。その山は、荒れ放題となりました。「手の付けられない状態」です。

避難先で孤立し

 孝子さんは赤宇木で雑貨店を営み、店番をして地域住民と交流をしてきました。

 孝子さんは「原発事故後は、地域の方々は散り散りに避難してしまいました。交流は途絶えてしまいました。周囲の人たちは私たち原発避難者を、冷ややかに見ています。人と交流することが怖くなり、孤立していきました」と悲しみます。

 孝子さんは伊達市に転居して半年後の2014年秋ごろから、胸の痛み、頭痛、イライラなどの病状が見られるようになりました。ささいなことでも啓輔さんに当たるようになりました。

 啓輔さんは、PTA役員、浪江町商工会津島支部長、浪江町農業委員会会長などを務めてきました。民俗芸能の田植え踊りの後継者育成にも当たってきました。

 啓輔さんは「原発事故は、私から、家族、健康、自宅、田畑、山林、生業(なりわい)、人とのつながり、ふるさとの全てを奪い去りました。悔しくって泣いてしまったことも何度もあります」といいます。

 夫妻は訴えます。

 「国と東京電力は、原発を再稼働させるのではなく、その力を復興のために、原発避難者が安全安心に暮らせるようにするためにつかってほしい。自宅を除染して、『3・11』前にもどしてもらうまでは、被害は続いています。被害にみあった賠償をしてもらいたい」

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2019年8月11日より転載)