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地震予測「長期評価」で対策とらず・・東電の責任浮き彫り 刑事裁判

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久元会長、武黒一郎、武藤栄の両元副社長の計3人の刑事裁判が東京地裁(永渕健一裁判長)で続いています。初公判は昨年6月。今年1月の第2回公判から先月末の第23回公判まで、東電社員や地震学者など15人が証言しました。検察が持っていた会議メモや電子メールなども明かされ、事故前の状況がわかってきました。

(「原発」取材班)

「原発事故起きなかった」

 裁判の争点は、事故につながる大津波を予見できたか、対策を取っていれば事故を防げたかどうかです。被告側は、事故は予見できず、対策を講じたとしても事故は避けられなかったと無罪を主張しています。

 焦点の一つが、政府の地震調査研究推進本部(地震本部、推本)が2002年7月に公表した地震予測「長期評価」に、東電がどう対応していたかです。被告側は、長期評価には専門家の間で異論があったとしています。

 02年の長期評価は、福島県沖を含む日本海溝寄りのどこでもマグニチュード8クラスの「津波地震」が30年以内に20%程度の確率で起きると予測しました。

 長期評価をまとめた当時の専門部会の部会長で、元原子力規制委員会委員長代理の島崎邦彦・東京大学名誉教授は「(長期評価の根拠となった)東北地方に過去3回の大きな津波が起きたことは事実。防災上からも非常に重い」といい、部会に出席した専門家も一致していたと指摘。長期評価で予測した津波地震の確率は「十分注意すべき大きさだ」と述べ、それに基づいた対策を取っていれば「福島原発事故は起きなかった」と証言しました。

社内でも“対策は不可避”

 事故前、福島第1原発の津波対策を担った東電の「土木調査グループ」に所属した社員2人と管理職の元社員が証言し、2007年秋ごろから、長期評価の見解を取り入れる必要があることで一致していたことを明らかににしています。

 当時、経済産業省の旧原子力安全・保安院から電力各社に対し、最新の知見で既存原発の安全性の再評価を行う作業(「バックチェック」)を求められていました。社員らは「地震本部は国の組織で、権威ある研究者が参加している」などの理由から、その見解を取り入れずに「審査を通るのは難しい」と考えていたと証言しています。

 同グループは部長の承認を得て翌08年1月に長期評価に基づく分析を子会社「東電設計」に業務委託。3月に敷地(海抜10メートル)を大きく超える最大15・7メートルの津波が襲来する計算結果を得たのです。その後、東電設計は東電の要請で、敷地を高さ10メートルの防潮壁で囲って、津波の浸水を防止できるとする計算もしています。

「180度方針が変わった」

 同年6月10日には、同グループは元副社長の武藤栄被告に津波対策を進言しました。沖合に長さ1・5~2キロの防潮壁を造る工程表も示され、最短で16カ月後の09年に着工できるとしていました。武藤被告は、沖合に防潮堤を造る際の許認可などを調べるよう指示します。社員によると、その1カ月後の7月31日、「津波対策を意思決定してもらいたい」と思い、指示された内容の検討結果を武藤被告に報告。しかし、武藤被告からは、長期評価について土木学会に検討を依頼する方針が示され、津波対策は保留されました。「百八十度変わる方針になった」と、グループの誰もが予想しなかった方針でした。社員の一人は「力が抜けた」と証言しました。

 その後も、東電の担当者間では、地震本部の見解を否定するのは困難だと考えていました。同年9月にあった福島第1原発での社内説明会では「津波対策は不可避」と報告されました。しかし、残された説明会の議事メモには「機微情報のため資料回収」と記されました。

 社内では10年に、先のグループの一人の昇進を機に、津波対策を横断的に検討する作業グループが作られました。しかし、対策を実施するまでにはならず、3・11に至ります。対策が具体化しないことに、社員の一人は「なんで早く進まないんだろうとフラストレーションがたまった」と証言しました。

対照的な対応の事業者も

 東電が長期評価について土木学会に検討を依頼して、津波対策を保留した同じころ、福島第1原発と同じ太平洋側に原発を持つ日本原子力発電(原電)は長期評価などに基づいて津波対策の検討を進めました。

 07年から09年まで出向先の原電で津波対策を担当した元東電社員が証言しました。当時、太平洋側に原子力施設を持つ東電、原電、東北電力などが頻繁に情報共有や打ち合わせをしていました。

 元社員のメモによると、07年末に東電の土木調査グループの社員が電話で、「今回のバックチェックで取り入れないと後で不作為だったと批判を受ける」と述べ、長期評価の見解を取り入れる考えでいました。元社員は「バックチェックで扱わざるを得ない方向で進んでいた」と証言しました。その後、原電は長期評価に基づいた津波評価を行い、最大12・2メートルの津波が襲来する結果を得ています。防潮壁がなければ建屋などが最大85センチ浸水する結果も得たため、建屋の浸水対策、浸水を低減させるための盛り土、海水ポンプ室の壁のかさ上げなどを検討し、10年までに工事を実施しました。

 11年3月の東日本大震災の際、東海第2原発(原電)は被災。地震で外部からの電源供給が途絶えた上に、津波で非常用発電機3台のうち1台がポンプの水没で停止し、間一髪で重大事故は免れています。

福島止まれば経営的に…

 東電が08年7月末に津波対策を保留したことは、「(地震本部の採用は)時期尚早ではないか」などとメールで原電にも伝えられました。元社員は「原電としても同調した」と述べる一方、早めに実施できる対策はやったと述べました。

 検察官役の指定弁護は、元社員が捜査段階で東京地検の調べを受けた際の供述内容を明かしました。それによると、東電の対策保留方針を受けた原電内部のミーティングで、上司から「先延ばししていいのか」との意見が出たこと、東電の担当者から「柏崎刈羽原発も止まっているのに、福島も止まったら経営的にどうなのか」という話があったといいます。

 東電が対策をとらなかった責任が浮き彫りになっています。

東電刑事裁判 主な経過

2002年7月 政府の地震調査研究推進本部が「長期評価」を公表

  06年9月 旧原子力安全・保安院が事業者にバックチェック実施を指示

  08年3月 東電設計が福島第1原発の敷地に最大15.7メートルの津波が襲来する計算をまとめる

   同年6月 東電社内の打ち合わせで武藤元副社長らに津波対策が進言される

   同年7月 再度の打ち合わせで、武藤副社長が長期評価について土木学会に検討を依頼し、津波対策は保留される

2011年3月11日 東日本大震災、福島第1原発事故

(「しんぶん赤旗」2018年8月27日より転載)