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福島に生きる・・安心安全奪わせない

モニタリングポストは撤去しないで」と訴える佐藤絹子さん

福島市在住 佐藤絹子さん(81)

 「廃炉作業の途中で何が起きるか不安は尽きない。モニタリングポストは撤去しないで」。福島市渡利に住む佐藤絹子さん(81)は、そう言います。

 原子力規制委員会は3月20日の定例会合で、東京電力福島第1原発事故で福島県内に約3000台設置した放射線監視装置(モニタリングポスト)のうち、避難区域以外にある約2400台を撤去する方針を明らかにしました。

 日本共産党渡利後援会と新日本婦人の会福島支部は4月12日、福島市に撤去しないように国に求めてほしいと要望書を提出しました。

 福島市議会は、要望を受けて「一方的に撤去しないことを求める意見書」を全会一致で可決しました。

目安の存続必要

 絹子さんは言います。

 「渡利地域の住民は、2011年10月から放射線の空間線量を自主的に測定してきました。その結果、現在でも除染の目安となる毎時0・23マイクロシーベルトを上回る地点もあります。モニタリングは必要、存続させるべきです」

 福島県三春町に住む絹子さんの次女は、13年12月に初出産しました。初産は実家でするのが習わしですが、それができませんでした。

 絹子さんは「渡利地域は線量が高く、孫を呼ぶことができない」といいます。孫たちと会うときは、三春町まで行くか、渡利地区よりも線量の低い地域で待ち合わせします。

 絹子さんの住む渡利地域には現在、3カ所にモニタリングポストがあります。「地域の安心安全の目安です。孫たちが来ても大丈夫なのか見分けがつきます」

「闘い方」学んだ

 絹子さんは中学生のころ「人殺しの妹だ」と石をぶつけられ、いじめられました。

 絹子さんの兄・松崎進吉さん(故人)は、戦後最悪の謀略・えん罪事件の松川事件が起きた当時、電報電話局で働き、全逓信従業員組合の書記長でした。松川事件の時に逮捕されて1カ月以上投獄されました。

 兄は、職場を解雇され、安定した仕事に就けない中で支援組織の松川対策協議会の運動を続け、全国をオルグし回りました。

 いま絹子さんは、日本共産党渡利後援会会長で日本共産党員です。「兄の生きざまを見つめながら生きてきました」といいます。

 国と東京電力に原状回復と完全賠償をもとめる「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告団結成の呼びかけがあったとき、「原発などいらない。私の代で終わりにしてほしい」と、真っ先に加わりました。

 「福島県民は松川闘争で裁判所を世論で包囲して真実を勝ち取っていくという『闘い方』を学んでいます。福島原発訴訟でも、この教訓を生かして国と大企業の東電を追い詰めて責任をはっきりさせたい。孫たちがいつでも自由にばあちゃんのところに遊びに来られるように、モニタリングポストを撤去させず、原発ゼロまでがんばります」と語っています。

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2018年8月11日より転載)