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福島に生きる・・残りの人生 絵手紙に込め

かながわ訴訟原告の山田俊子さん

福島原発神奈川訴訟原告 山田俊子さん(77)

 「残りの人生どうしたらいいの。たたかうしかない」。福島原発かながわ訴訟原告の山田俊子さん(77)は原告に加わった動機についてそう語っています。

 2011年3月11日は、茨城県水戸市の偕楽園見学で旅行中でした。交通機関は大混乱。福島に帰れなくなり、横浜市に住む姉の家に避難しました。現在は、福島県南相馬市原町区から神奈川県愛川町に避難しています。

 俊子さんは神奈川県出身。夫の香三さんは福島県飯舘村出身です。2007年に教職退職後、夫妻は「田舎暮らしにあこがれて」東京都内から南相馬市に移住しました。コメ作り、ホタル観賞、メダカを追い「福島の自然を満喫していました」。

 阿武隈高地の山また山の景色に癒やされました。

 「絵手紙」を描く俊子さん。原発事故からの8年目を「折々の絵手紙」(原告団編集)と題して本にしています。

 「国と東電の不誠実な姿勢。もう、司法の判断を仰ぐ以外にないと覚悟を決めました。人間らしい暮らしと、かけがえのないふるさとを取り戻すために、神奈川に避難している17家族44人(現在は原告数61家族174人)で横浜地裁に提訴しました」

 ■家提供打ち切り

 今も愛川町での避難生活が続いています。昨年住宅提供が打ち切りになってしまいました。

 「ぼうしかぶり 手さげひっさげ 脱原発へ」と、絵手紙に描きました。「一言では言えない思いを絵とことばに託しました」と俊子さん。愛川町に避難したのは、夫の友だちのすすめです。

 「絵手紙」では、「ゆたかな自然環境の中で入聞らしくくらしたい それが復興だ」「原発と核兵器廃絶を!」などと訴えている71点が収められています。

 2011年9月、福島原発から約24キロの南相馬市原町は緊急時避難準備区域が解除されました。放射能の影響を無視した解除に「信じられない思いでした。子どもへの影賢がとても心配でした」と語ります。

 ■堪えられない姿

 現在も南相馬市は、介護施設も、ヘルパーも、医師も、看護職員も不足しています。放射性廃棄物を入れた黒いフレコンパックが山積み。「見るに堪えない光景が広がっています」

 俊子さんは、福島原発かながわ訴訟第5回口頭弁論で意見陳述をしました。

 「原発事故は、本当に、国富の喪失です。私たちの故郷、幸せ、人生、未来を根こそぎ奪い、元に復することができるとは到底思えません。二度と福島のような事故をおこしてはいけません。私たちのような苦しみはもう誰にも味わわせたくありません。国には、住民の生命や健康を守り、住民が1ミリシーベルトを超える被ばくをせずに生活できるよう全力を尽くす責任があると思います」

 絵手紙に添えられた言葉です。

 「うばうなよ 無償住宅 命づな 帰りたくとも帰れない」

 「よもぎ! つくし! わらびをつみ、林の中に入って タラの芽やこしあぶらをとったっけ。 清らかな水、空気! ゆたかな里山 ひよくな田畑!ああもう田舎ぐらしはできない」

 裁判は今年7月19日結審。来年春ごろ判決が予定されています。

(「しんぶん赤旗」2018年5月31日より転載)